「歴史認識」:日韓対立の真相は?

  • 2015.06.23 Tuesday
  • 21:46
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なかなか克服できない日韓間の歴史問題の背景にある真相は何か、第37回絆サロンで前駐韓大使の武藤正敏さんが詳しく解説し、和解への道を示唆してくれた。武藤氏はソウルの大学での語学研修を含め5回の韓国勤務を経験し、外務本省では北東アジア課長を勤め、政府レベルでも韓国国民との間でも難しい日韓関係に取り組んできた人である。
武藤氏の講演とそのあとの質疑応答・意見交換の概要をお知らせしたい。武藤氏は、韓国側の問題点について詳しく語ってくれたが、日本側でなすべきことにも触れている。我々はそのことも十分考える必要がある。
 
(講演要旨)
外交官生活40年のうち、12年を韓国で過ごした。今般、「日韓対立の真相」(悟空社)を上梓した。出せば必ず叩かれるので書きたくはなかったが、自分の率直な気持ちを伝えたかった。最近、朝鮮日報のインタビューを受けたが、小生のは採用されず、韓国により優しいことを述べた先輩のものが取り上げられた。韓国の反日感情は一部の人だけだが政治絡みではいまも強い。政治家、マスコミ、一部のNGOなどが反日の声を出せば、誰も反論しない。反論すれば、「お前は親日だ」と言われるからだ。ただ、実際には一般韓国人の対日感情は悪くないのである。
反日感情には変遷がある。1960年代から70年代は、韓国人が日本のことを勉強していてもそれを親戚にも話すことを憚った。日本人が街で日本語で話をしていると睨まれる雰囲気だった。しかし、1988年のソウル・オリンピック以降変わってきた。若い人たちが日本に行ってみると、祖父母などから聞いていた日本とはすごく違っていたことに気が付いた。
韓国の反日感情の背景には、戦後処理の仕組みに対する不満もある。ドイツはナチズムの非人道的行為を反省し、東西ドイツに分かれていたので個人補償を中心に戦後処理を行った。日本は政府レベルで有償・無償併せて5億ドルの経済協力をして、これがその後の韓国の発展に多大な寄与をしたが、そのことは韓国ではほとんど知られていない。朴正煕、全斗煥、金大中など、責任をとれる大統領がいた時代には日韓関係が改善したが、現状では反日感情を鎮める人はいない。
他方、日本を見ると、現状では嫌韓感情の方が反韓感情より強い。「もう、韓国なんか放っておけ」という雰囲気だ。嫌韓感情は1990年代初期の宮澤総理訪韓の頃から始まった。慰安婦問題が発覚し、宮澤訪韓が良い結果でなかったことが日本でも叩かれた。盧泰愚大統領時代には過去の真相究明が叫ばれ、対日協力者の財産没収などが行われた。李明博氏は竹島上陸や天皇陛下に対する発言などで日本人の不快感を買った。現在の朴槿恵時代は慰安婦問題への強い拘りが日本人のフラストレーションに繋がっている。
しかし、日韓双方に誤解もある。日本側には、韓国のすべてが反日だと思い込み、それへの反発が強い。韓国には建前と本音がある。世論調査ではほとんどの人が日本嫌いで日本はけしからんというが、現実とは大きな隔たりがある。ソウル・オリンピックの際、日本とソ連の女子バレーボール試合でソ連を応援した韓国人だが、終わると日本選手にサインを求める人たちがいた。現在も日本文化への憧れは強く、日本観光は増えているし、日本食ブームも続いている。ただ、日本人の歴史観には疑問を持ち、竹島問題で日本への反発が強い。韓国側の誤解としては、日本が軍国主義だと思い込んでいることがある。現実を直視せず固定観念にとらわれているからだが、最近の日本の平和安保法制整備や集団自衛権の行使容認の議論も影響している。韓国への脅威は中国ではなく日本だと思い、日本との防衛協力には慎重で、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結直前に大統領や議員が待ったをかけた事例もある。汗と涙で民主国家となった金大中大統領時代の日韓関係は良好であった。対日文化開放策も採られたし、日本側にも過去の問題で保守的発言もあまり聞かれなかった。
過去の問題に対する日本側の反応について言うと、日本は国益とは何かを中心に考えてこなかったきらいがある。韓国の対応が良いとは言わないが、日本側にも安倍総理と周辺が過去史問題について明確な姿勢を示していないこともある。靖国神社参拝についても国内的視点と国際的視点があり、双方を考えることが重要だ。中国も靖国参拝に表向きは反対しているが、日本批判の材料にもしているように見える。先般の安倍総理訪米での議会演説や対米姿勢などは米側から概ね好意的評価を受けたが、韓国は反発している。中国はそれほどでもなかった。米国の世論を意識する韓国としては期待外れだったのではないか。慰安婦問題に関し、日本側から強制性はなかったなどの反論が出る。当時韓国の女性はどんな相手とでも結婚させられたのは、しないと慰安婦にされる恐れもあったからと言われている。国際的スタンダードで考えることが必要だ。今日の国際社会ではこの問題は女性の人権問題ととらえられる傾向があるので、「強制はなかった」などといっても納得してもらえない。日本は民主主義国である以上、過去の問題にも逃げない姿勢が肝要である。韓国の挺身隊問題対策協議会という団体はそこに付けこんでいる。
韓国人は自分たちの歴史観がた正しいと思い込んでいる。だから、日本との歴史共同研究に取り組む場合、自分たちが正しいと思うことを立証することが歴史研究だと考える。韓国内では、国民感情に立脚した歴史観に反対できないため、それが固定観念を形成してしまう。韓国人は国交正常化後に日本が韓国の経済発展に協力したことは知らないし、政府もそれを殆ど公表しない。世界的企業になった浦項製鉄所も日本の協力なしには発展しなかった。日本が過去史を反省せず、謝罪しないというのは、国交正常化後の歴史を無視するからである。朴槿恵大統領が慰安婦問題に固執しているが、その背景に韓国挺身隊問題対策協議会が事実を歪曲し問題を先鋭化して解決を妨害していることがある。韓国政府はこれに振り回されることなく、総合的判断で政策を決めるべきだ。
今後の和解のために何をしたらよいか、考えたい。先ずは、事実を事実として理解し認めることが出発点であるべきだ。日本は戦後民主主義国になった。日本は国交正常化後に韓国の発展に協力した。日韓の経済関係も日韓双方にとってメリットであった。それを認めるとともに、日韓双方がお互いに植民地支配の現実を直視することが重要だ。そのうえでこれまで両国関係を悪化させた方式を変えることだ。これまで、反日をいかに鎮めるかを考えて、主として日本が妥協してきたが、今後は若干時間がかかっても韓国側の反省を促し、今後波風が立たないルールを作ることが肝要だ。
自分(武藤)は嫌韓ではない。反日だけでなく、嫌韓にも配慮していかなければならない。日本は植民地時代に良いことをしたと主張する日本人がいるが、それは植民地政策のためにやったことであり、日本のためでもあった。慰安婦問題については、韓国挺身隊問題対策協議会が広めた誤った歴史観を正すこと、アジア女性基金の役割を見直すこと、韓国政府は逃げ腰ではなく責任のある対応を求めることなどが重要だが、その間に日本側も発言を自重する必要がある。さらに、広い見地から両国間で戦略対話を行い、その中で日本の重要性を再認識してもらうこと、中国の実態について理解を深めること、日米間で戦略対話をすることなどが重要である。最後に、日韓の人的交流が重要であることを指摘したい。とくに青少年交流は効果がある。
 
(質疑応答・意見交換)
Q
オランダ人の従軍慰安婦問題はアジア女性基金による見舞金を受け取ったので、(歴代総理のお詫びの手紙があったので受け取った方もあった由)オランダでは問題は全て解決した。アジア女性基金を通じて日本政府も誠意を尽くして謝罪と問題の解決に尽力を尽くしたことをもっと積極的に広報すべきである。特に、そのターゲットは、対米広報に向けるべきであり、またその際、今や『戦時における女性の人権問題』と受け止められているので、アジア女性基金による貢献に焦点を合わせ、強制性があったのか否かといった議論は避けるべきである。
「日韓対立の真相」は韓国語版も発刊してほしい。
A:韓国語版も出したいとは思うが、出版社が大変かもしれない。
Q:決着したはずの問題が繰り返し出てくるのはなぜか。何時まで続くのか。被害者と加害者との関係もあるのではないか。
A:ご指摘の通り、文化的・歴史的な関係で優越感や劣等感が表裏一体で出てきたりする。韓国はかつて日本に文化を伝えたとの意識があるが、今日、日本は世界的に文化の面で高い評価を受けており、韓国はその面はあまりない。経済的には韓国が発展し、「日本、何するものぞ」の気概もある。欧州は、歴史認識においてお互いに理解し合い和解してきたが、日韓間では歴史共同研究において韓国側は国民感情を背負って出てくる。大人になれないところがある。
Q:なぜ、韓国や中国が日本に激しく謝罪を求めるのか。慰安婦問題についてどう考えるべきか。
A:歴史へのこだわりにおいて、中国と韓国では違いがある。中国は政治的に日本叩きの材料として歴史問題を取り上げる側面があると思う。韓国は自分が正しいと思っている。
慰安婦問題は国際的にどう受け止められているかを考える必要がある。あれこれ反論するとかえって国際的批判を受けることにもなりかねない。
Q:日本は近代史をあまり学んでこなかったが、韓国では幼稚園の頃から教えられる。
A:お互いに歴史をもっと学ぶべきだとのご指摘に同感。韓国人が日本に来ると見方が変わ
る。教育が重要だ。
Q:日本や韓国のことに詳しい駐日スウェーデン大使がある会合でノルウェーの学生の質問を受けた。北欧諸国間でも歴史的に領土の奪い合いがあった。大使は「歴史にはあきらめが必要」と述べたことがある。日本人は江戸時代までは感情を抑えることを知っていたが最近はその意識に乏しい。日本人も大人になるべきだ。
A:日本人は最近韓国のことになるとカーッとする。お互いに大人になるべきだ。竹島周辺にメタンハイドグレードの資源があり、日本は高い技術力を持っている。大人の解決策を探ることも考えてよい。
Q:文化交流をさらに発展させるべきだ。テレビをお互いに見れるようにすることも一案だ。
A:今は、見ようと思えば相手国のテレビを見ることは可能。日本の書籍はたくさん韓国で販売されている。韓国のドラマなどは最初から輸出を考えて作られる。日本はドラマなどの輸出志向は薄い。

 

日中関係を考える:「歴史」への対し方

  • 2015.06.03 Wednesday
  • 21:25


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「戦後70年、『歴史認識』を考える」シリーズ第2回目は、中国のことに詳しい橋本逸男氏に語っていただいた。橋本さんは外務省OBであるが、中国勤務は上海総領事を含め5回に及び、台湾での研修、2度の香港総領事館勤務を入れると8回にわたる中国圏での勤務経験をもつ中国通だ。橋本氏は、「日中関係は日中双方、延いては世界の最も重要な二国間関係である。両国は、これを善く認識し、相手を的確に理解して、関係発展に努めるべきだ」として、日本の姿勢、日中関係全体を平易に分析し、両国がなすべきことを説いた。多くの率直な質問にも丁寧に答えて頂いた。以下は講演と質疑応答の要旨である。
 
(講演要旨)
日本は戦後、反省の上に、大きな努力をし、公明正大な国柄、民主・平和と国際協調の姿勢で高い国際的評価と好感を勝ち得ている。日本は、今後とも、最重要の関係にある中国はもとより、朝鮮半島や世界との関係で、こうした姿勢を続けていくことが大事である。
日中関係、そしてその「歴史」は全体的、総合的に捉える必要がある。紆余曲折を経た両国の二千年の歴史を的確に理解し、将来を見据えて適正な関係を維持すべきである。中国側が「日本は正しい姿勢を」と言うのは正しいが、「正しさ」の主張には主観も伴う。国民性も、政治も関係する。日本側も「歴史」について反省をし、それに基づく誠実で真摯な努力をしてきたつもりだが、先方には、「不充分」と映る。中国の日本に対する異論や「嫌日」の主因は「侵略」にあり、対中戦争が「侵略」であったとの認識に立って、中国側の思いを受け止めたい。「また「侵略」か」、「随分時間が経ったのに」、「くどい」といった反応もあるが、国内でも、会津の長州や薩摩への思いが想起される。「不義の」戦いを仕掛けられた、との思いは、今に残るのである。中国が折に触れて言う「ドイツに比べて日本は!」との論は、ナチス・ドイツと当時の日本の異同、蛮行の程度の違い、もともとの対独・対日感情の違いなどから、不精確な面もあるが、日本はきちんと対応すべき問題であり、「頬かむり」するわけにはいかない。
「歴史」の全体を鳥瞰することは特に大事である。二千年の交流史には良いこともあり、一時の誤りもあった。必然と偶然の要素を弁別して、総合的に把握すべきで、一部のみに注目したり、現政権の利害で主観的に扱ったりすると、両国関係を見る視野が狭まり、未来も見通し難くなる。日中関係を考える「補助線」として日韓関係を見やることもお勧めしたい。誇大な自己意識を離れ、「歴史」を踏まえ、大局から考えることが重要である。尤も、私は、日中関係については悲観していない。
中国の国民性や人々の考え方を知ることも大事である。自国・自分本位なところ、家族や親族を重視する姿勢は踏まえる必要があるが、同時に、性格的に、大まか・大らかで小事に拘らない面、時間感覚の悠遠さなどがある。中国に残された(「侵略者」の子供である)残留孤児たちを養育してくれたこと、「戦犯被疑者」への寛大な措置等も想起される。中国(人)は、日本が中国文明を学んで文明化した「優等生」との意識がある。歴史的に、日本(人)は「小さく」、「重量」は足りないと感じているが、謂われなき軽侮・偏見等はなく、概して高い評価をして来た。昨今の日中関係の中にあっても、日本の良い面は「サクッ」と認める率直さ、大らかさがある。これらの点は、朝鮮半島における事情とは随分違うと思う。中国の、「民度」が上がり、対外開放度が一層進めば、人々の対日理解は増進するであろう。
世界が、日本の戦後の民主化、平和的発展、国際貢献に対して概して高い評価をしているのは、BBCの世論調査等からも明らかである(中国と韓国の評価が例外的に低い。ドイツも低下気味)。日本は、今後とも、公明正大で誠実な姿勢を維持し、世界に貢献してゆくべきであるが、中国(及び朝鮮半島)に対しては、特にそうである。ただ、公明正大で誠実な姿勢は、他者に、事実を的確に捉え、精確な対日観を持つよう働きかけることも含む。事実誤認や誤解、謂われなき偏見等に対しては、冷静かつ客観的に問題提起していくべきである。これまで、政府やメディア、国民はそうした努力を適正に行って来たのか、反省の要があろう。二国間関係に於いては勿論、国際場裏で行われる論や日本への批判等にも、的確に対応してゆかねばならない。冷静に、節度や品位を保って、正々堂々と対応すべきである。
私の日中関係への願いは、日本が、米国ファクターも韓国のことも考えながら、世界の中の日中関係を意識して行動することである。両国間に於いては、夫々の長所短所をそれとして認識し、徒に理想視せず、殊更にこと挙げせず、ありのままの姿で相互理解出来ることである。政府は、国益を求め、国民の為にも良かれとて、時に辞を高くし、「筋」に拘わりもする。しかし、政治関係は「豹変」もする。したがって、国民・民間にあっては、政府間の関係に一喜一憂することなく、また、メディアの報道を盲信することなく、自ら常識的判断を下し、国民間交流が重要との意識を持って関係増進に努力すれば良いのだと思う。
古来、日本は、中国をよく知り、高く評価し、文化・文物を愛しても来た。中国の対外開放や「国際化」にも貢献してきた。中国は、日本が中国にとって重要な存在であることを更に認識して欲しいと思う。
 
(質疑応答)
Q:中国はベトナム等近隣国との関係でも歴史問題がある。中国こそ歴史認識を考えるべきだ。自由に言い合うことが重要。
A:互いに言い合うべきとの指摘は御尤も。「言い合う」環境も大事で、例えば、学者・研究者間で、存分にそれが出来ると良いのだが。政府も「謝罪」ばかりではなく、言うべきことを言う必要があろう。但し、我々は「第三者」ではないので、そうした提起がどこまで説得力を持つかは別問題。また、日本を重視した、故・胡耀邦総書記も述べたように、日本が中国に齎した災厄も、中国史上最大級であったことにも思いを致すべきだと思う。
Q:中国共産党の威信を高めるために日本がスケープゴートにされている面もある。
A:当たっている面はある。対日軍事抵抗の中心は国民党であったとはいえ、「対日抗戦勝利」は、大きな事績だからである。ただ、共産党が、国民の意識、気持ちを顧みず、党利的にそうしている、と考えると正しくないと思う。中国には、家族・親族・縁者が日本(軍)に酷い目に遭わされた、という人々は沢山いるのであり、党の主張はそれを踏まえる必要もある。時により、党・政府は、そうした感情を宥めたり、説得したりすることもある。1972年の日中国交正常化に際してのそうした努力はよく知られている。
Q:辛亥革命を指導した孫文を日本人が支援した事実を中国人は知っているのか。中国は欧州はじめ世界で日本批判を展開している。海外で議論しても日本人は発言もせず負けてしまう例が多い。国際社会を意識して、もっと日中関係の重要な事実を知らせるべし。
A:日本の孫文支援のことについて知っている中国人は少なくはないが、今日それを、全国的に、積極的に教えてはいないであろう。国民党・台湾の側ではよく知られているかと思う。国際場裏でのあるべき努力については、ご指摘に同感である。外交上の広報活動ももっと強化すべきであろうし、日本メディアなども、対応を考える必要があろう。日本人全般についても言えるかもしれないが、適正な論を吐く意欲や知識の度合いが、もう少し強くあるべきであろうと思う。この点は、近年、中国というより、韓国に関し、痛感する。
Q:尖閣諸島の問題で、最近中国側の態度が和らいできている感もするが。
A:日中関係で、先方の出方がより穏やかになったとは感じる。尖閣については、当初中国側は提起しなかったとか、近年は、何かあると大きく取り上げるとか、時代性、時の推移による変遷はあるが、中国(人)は列強から領土を蚕食された悪夢もあり、一旦出した、尖閣自体についての主張は引込めないであろう。日本側が「無策」で、「放置」した竹島とは違い、国際司法裁判所に提訴出来れば、勝訴出来そうだが、中国は提訴に応じないであろう。
Q:インターネットを見ていると、最近中国の反日感情は少し和らいだ感もある。
A:中国では言論がコントロールされている面もあり、代表的な意見が、分り易く出て来るわけではない。しかし、御指摘のインターネットでは、様々な問題について、多様な意見が出ており、全体を眺めるには大変参考になる。日本を貶める意見もあるが、それをたしなめる意見もあるし、日本の美点を率直・素直に称讃する意見も多く、これも、朝鮮半島関係のものとは大きく異なる。皆様、お手すきの際に、ちょっと覗いて見て下さい。最近の状況だと、日本は怪しからんとばかり教えられてきた人が、実際に見聞して、その「差」に驚くことも少なくなく、それは、積もれば、中国側の対日認識、対日言論の変化にもつながるであろう。
Q:中国の中でも沿海部と内陸では経済も文化も相当格差があるのではないか。
A:内陸部と沿海部との経済レベルの格差は10分の1といった指摘もあるが、文化の面では、同じ「中国」文化で、中身的にそれほどの「差」は感じない。しかし、利益を求める行動に遠慮がないこともあり、近年、人々の間の貧富の差が、沿海・内陸間のみならず、沿海都市などの内部でも、拡大しているのは大きな問題である。
Q:中国は新幹線の技術を自国が開発したとして米国で特許の申請をしたらしいが、どういう感覚かと思う。
A:詳細は承知しないが、中国に限らず、そうした問題は起こりうると思う。「特許」は、発明・発見した人ではなく、申請した人が得る権利である。日本人の特許意識は、一般的には必ずしも旺盛ではなく、きちんと申請をしたり、権利の侵犯を防ぐ、といった努力が疎かになる面があるのではないか。また、中国の高速鉄道は、新幹線技術を下敷きにしたことは間違いないにしても、自前の技術を何か加味した面もあろうから、「特許申請」が許されない、ということでもなかろう。勿論、関係する政府当局がどう判断するか、ではあるが。今回のことから、「教訓」を得るとしたら、日本企業側が、そうした問題も適正に判断し、先方との契約、合意などでも、明確にしておくことであろう。技術を他国の企業に合法的にうまくとられてしまうような甘いところもある。
 

「戦後70年、『歴史認識』を考える」シリーズが開始!

  • 2015.04.21 Tuesday
  • 21:23
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今年は戦後70年の節目の年。年初に絆サロンでもこの問題を取り上げようと思っていたところに、安倍総理による談話発出の方針が報道されて、にわかに国内外の関心が高まってきた。そこで、この問題をシリーズで取り上げることとし、第1回目は4月18日、私が体験を交えて論点整理のお話をさせていただいた。以下は、その概要である。
なお、次回以降は他の講師にお願いして、中国の観点を加えた講演(5月28日夕)、韓国の視点も入れた講演(6月15日夕)を行い、総理談話発出後の9月にまとめの会ができればと考えている。
 
(講演要旨)
このテーマは複雑で機微な点を含んでいるうえに、日本の歴史認識のありかたが次第に国際的広がりを持つ大きな関心事にもなり、日本の言動が国家の品格にも関わる要素をさえ含んでいる。
第2次世界大戦終了後70年ということで、様々な国がそれぞれの「戦後70年」の行事を行おうとしている。報道などによれば、中国は9月に「抗日戦争勝利70周年記念式典」を行い、軍事パレードを実施するとも言われる。韓国は毎年8月15日に「光復節」として日本からの独立を祝っているが、70年目の本年の行事の内容が注目される。ロシアは5月に反ファシズム戦争勝利を祝い、習近平主席や、金正恩第一書記を招待するとの報道がある。例年、仏、独なども大きな終戦記念行事を行っている。それぞれの国が自国の立場から70周年を記念し、時にはナショナリズムを煽る傾向もみられる。近隣国との間で摩擦を抱える日本の行動も世界から注目されている。どの国であれ、この問題は本来ナショナリズムを克服して世界的視野で考えるべきものである。
世界には近隣国同士で様々な「歴史問題」がある。日米間では和解ができているので先鋭化することはないが、原爆、空襲、日系人収容などを巡る議論がときに触れ提起さる。今後日米の首脳が相互に、広島・長崎と真珠湾を訪問すべきとの提言もある。
 
私(小川)はこれまでいろいろな国で「歴史」問題に関連する体験をした。高校生のときのアメリカ留学時代にはアメリカ人の家庭にお世話になったが、ある日家族との夕食の場で、私が原爆の兵器としての非人道性に触れたときのアメリカ人の激しい反応に驚いたことがある。唯一の被爆国国民としての私の感情と真珠湾攻撃を卑怯な戦争と見るアメリカ人の立場の大きな差をあらためて心に刻んだ。フィリピン在勤中には様々な地域や離島などを訪問したが、普段は明るく友好的なフィリピン人の心にも日本が行った戦争の影響が残っていることを知った。韓国では、親しくしていただき敬意をもっていた年配の知識人と食事をしていて酒も心地よくまわってきたころ、相手の先生が突如顔を真っ赤にして、「小川さん、日本は韓国の民族と文化を抹殺したのですぞ!」と周囲が驚くほどの大音声で叫んだ。相手の眼にはギラギラと激しい感情が漲ってた。植民地時代に日本が行った政策の韓国人への大きな心理的影響をあらためて胸にとどめた。ホノルルでの勤務では、日本の真珠湾攻撃がもたらした現地やアメリカ本土の日系人への多大な苦難を具体的に知った。これらの例はいずれも、やはり現地に行ってみないと被害を受けた国民の心情はわからないものだということを示すものである。
私は、リトアニアの大使として、ロシアとリトアニアの間の「歴史問題」を当事者ではない第三国の者として冷静に観察することができた。ソ連は独ソ間の密約によって1940年にバルト三国を併合した経緯がある。リトアニアは独立後の2004年にNATO EUに加盟したが、それを踏まえロシアに対し併合は不法であり謝罪すべきと要求した。しかし、ロシアは謝罪もせず、種々の嫌がらせを行ったが、私は大国ロシアの姿勢に傲慢不遜さを感じた。翻って、日本の近隣国と摩擦への対処についても他国はじっと日本を見ているであろうことにも思いを致した。
小泉首相が靖国を参拝した時、私はデンマークにいた。デンマークでもこのことが大きなニュースとなり、私は日本大使としてテレビのプライムタイムに呼ばれ質問を受けた。「なぜ戦犯が合祀されている場所に総理が参拝するのか」という点に関心が集中し、私がいくら答えてもテレビ司会者からの執拗な追求はやまなかった。北欧の一国からもこのように見られていることを知った。
日本の「歴史認識問題」はいまや国際化してしまった。今般「安倍談話」が作成されることになって、近隣国からその内容についてしきりに牽制球が投げられているが、あまり愉快なことではない。過去の歴史問題についての近隣国からの継続的な日本批判が世界的に報道されるようにもなったことがアメリカなど第三国の対日観にも影響を及ぼしている。米主要紙が安倍総理について「歴史修正主義」と批判することがアメリカの官民に影響を与えてもいる。アメリカ政府は日本にも近隣国との関係を改善してほしいとの期待も表明している。しかしながら、日本は今でも「歴史問題」を依然として克服できないでいる。それは国内の言論が統一されていないからである。
私が長い外交官生活で最も悔しいと感じてきたのは、戦後の日本が平和外交や世界中の途上国への開発援助(ODA)などによって誇るべき実績を残し貢献をしてきたにもかかわらず、この「歴史認識」問題が日本外交の大きな足枷となっていることである。過去の歴史を巡って近隣国と軋轢が繰り返されてきた過程で、日本の対応はしばしば裏目に出てしまった。植民地統治、慰安婦、南京虐殺などの問題についての批判に対する日本の論者の反論や正当化が、逆に一層の日本批判を増幅したこともたびたびある。総理など歴代の日本の指導者が累次にわたり反省やお詫びの言葉を述べても、日本の国内ではそれに異論を唱える者がいる。国論が統一されていないので、海外からは日本の公的な反省やお詫びに対する信頼感に繋がらないのである。さらに、中国や韓国は「歴史認識」問題を通じて世界的規模で反日広報外交を展開している。韓国は慰安婦問題を« sex slaves »などの言葉で世界的に喧伝し、慰安婦像を建てたりする。2005年に日本が 安保理常任理事国入りを目指してドイツ、インド、ブラジルなどを連携して世界的な外交運動を展開すると、中国は歴史認識問題を取り上げて世界中に「日本に常任理事国の資格はない」との大々的な反対キャンペーンを張った。韓国も日本の常任理事国入りに反対したのである。慰安婦問題を巡る軋轢が世界に知られるようになると、今度はアメリカの下院で日本政府に慰安婦問題での謝罪を勧告する趣旨の決議案が採択されてしまった(2007年の米下院決議121号)。この決議はその内容やプロセスに問題点もあり、日本の保守派の言論人がワシントン・ポストに意見広告を出したが、これもまたアメリカでの批判を呼んでしまった。根拠なき批判に反論することは重要ではあるが、アメリカなど欧米社会では慰安婦問題は女性の人権問題として捉えられていることから、各論での反論では説得できないのである。
 
過去の歴史問題に対処することについて、しばしばドイツと日本が比較される。ドイツは若干の紆余曲折があったが、今や戦争中の行為を非と認めそれを謝罪する点で国論が概ね統一されているので国としての姿勢は一貫している。ナチズムという明白に人道に反する行為であることから国論はまとまりやすいので日本とは状況が異なるが、日本には過去の行為について国民的合意が形成されていないことが問題である。欧州では独仏の和解が実現してそれが欧州統合の大きな原動力になっている。他方で、発展が進むアジア太平洋地域では日中韓関係が円滑ではない。本来日本がリードしてアジア太平洋地域の連携や統合に向かって役割を果たしたいところであるが、歴史問題で中国や韓国に足を引っ張られ協調することもできていない。最近では、中国がこの地域でリードしつつあるようにみられるのは洵に残念である。
歴史認識についてはしばしば「村山談話」が話題になる。「村山談話」を見てみよう。1995年に発表された「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題するこの談話の後段部分で村山総理は、「遠くない過去の一時期、我が国は国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べ、そのことに「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明している。
これは、戦後50年にあたって、時の総理大臣が世界に発信した日本政府の公式見解である。多くの国がこの談話を評価したが、日本国内の反応はまちまちであった。安倍総理が本年この村山談話の考え方を継承するか否かが国際的にも注目されている。
中国などはよく日本に対し、「歴史を鏡に」と言い、日本は「未来志向で」と言う。しかし、どちらも必要なのだ。過去にあまりこだわってはいけないし、さりとて過去を忘れてはいけない。我が国の戦後外交には誇るべきものがあるが、それだけを強調しても十分ではない。過去の歴史の事実に対しては謙虚に認める必要がある。それがないと海外からは信頼されないし、過去を等閑視すると国家の品格にも関わることになりかねない。
我が国はどうすべきか。現時点で努力すべきことは「歴史」に対する国民の認識を近づけることであろうし、その場合の基準は「村山談話」を軸に考えていくのがもっとも現実的ではないかと思われる。
被害者と加害者の立場はいつも違う。人間は誰でも家族や親しい人が苦しんだり亡くなったりすれば悲しみ、加害者を恨むのが常だ。国際関係でも人間の感情を理解することが重要で、相手の立場に立って考えてみることも必要だ。過去の歴史を巡る近隣国との軋轢に対処する場合に、「世界の中の日本」という視点を持つことも大事である。そうした意味でも、今月末の安倍総理の米議会演説と8月に発表されるであろう「談話」の内容が世界からも注目されている。
 
(意見交換)
本日のテーマには様々な考えや立場があるため、講演後の意見交換は活発であった。その主なものを紹介する。
(1)私から、本日のサロンに参加できなかった人から、「他人の茶の間を土足で踏みにじり居座ったこと、他国を占拠することが何を意味するかを首相は思いを致すべき」との趣旨の意見表明が送られてきたことを紹介した。
(2)日本の過去の行動の目的は植民地解放のための聖戦か、あるいは植民地分割への参加と見るべきかとの質問があり、私から、どちらとも言い難いが、朝鮮半島に日本が出て行ったことについて、統治政策の中身に問題はあったが、当時の国際情勢の中で国を維持するうえでやむを得ない面があると考える旨答えた。
(3)これに対し、林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に言及しつつ、真珠湾攻撃はルーズベルトの陰謀、韓国(朝鮮)人はむしろ日本の統治を期待し日本と一体になろうとした人達がいたなどと述べて、私の考えに反論する意見があった。他方で、①私の考えに概ね同調しつつも、近年、日本のこの問題に対する国際的発信は著しく低下して韓国などに連戦連敗、日本は文化的欠落の状況にある、日本の発信力を高めるためには日本人の人間力を高める必要があるとの意見、さらには、②朝鮮半島を植民地化したことはやむを得ないとする意見は認めたくない、子供たちには歴史を教えつつも世代交代が進むに連れて国民感情も変わりうるので未来志向的な関係改善の努力をするべきとの意見、③戦後日本が平和憲法を制定し「戦争放棄」を謳ったことに子供心に大きな喜びを感じたが、この精神を国民に浸透させる仕組みが必要だ、日本として「歴史」を総括できていないが、歴史教育を向上させ愛国心をもてるようにすべきとの意見、また、海外勤務経験の長い人からは、④国際社会では、日本がどのような価値観を持っているかが見えない、そのために健全なナショナリズムやナショナル・アイデンティティを明確にするための内なる努力が必要だとの意見などが相次いだ。
 
総じて、参加者からは様々な意見の開陳を歓迎する声が少なくなかった 
 

酒井啓子先生の説く「イスラーム国」と中東情勢の展望

  • 2015.04.12 Sunday
  • 17:58
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324日の第34回絆サロンは満員盛況。酒井啓子千葉大学教授が世界を震撼させている「イスラーム国」(以下、ISと略称)と中東情勢の展望について語ってくれた。中東地域の地図なども用いての説明は内容的にとても分かりやすかったが、今後の展望は複雑であることも理解でき、心理的な不安を抱いて帰路に着いた。以下に、先生の説明をまとめてみた。
 
17日のパリでのシャルリ・エブド社などの襲撃事件に始まった過激派の活動による危機は急速に深刻化している。日本人にも犠牲者が出たが日本人がターゲットというわけではなく、世界全体が暴力の嵐に巻き込まれた状態だ。
一連の事件の真の始まりは、「アラブの春」後の関係国における混乱と政権の事態収拾能力の欠如にある。国内の混乱などのある問題国が「スイッチ」のような状態にあり、ISはそこを狙って火をつけていく。2006年、イラク戦争後に反米機運の強かったイラク西部でアルカーイダ系組織の分派として成立した勢力は、米軍主導で行われた住民とテロリストを切り離す掃討作戦でイラクから追い出されたが、シリア内戦に乗じて拠点をシリアに移して勢力を拡大し、ISを名乗りイラクに舞い戻りチグリス・ユーフラテス川沿いに南下しモスルを陥落させて、ファルージャを陥れた。昨年6月、イラクの一部がISに制圧されたことは世界に衝撃を与えた。IS が目指しているのは「カリフ制」の再興であり、厳格なイスラーム法の支配を目指すが、どのようなカリフ制をつくるかの議論は煮詰まっていない。同じようにイスラーム法の厳格な支配を標榜するワッハーブ派のサウジよりも厳格で、シーア派を異端として認めず、キリスト教会を破壊、古代遺跡までも破壊する。ISはけしてイスラームを代表するものではない。
ISの活動が拡大した背景にいくつかの要因がある。ひとつは、シリアが内戦によって「破綻国家」化したため、ISが権力の空白地点に拠点を築いた。周辺国がシリアの反政府派に資金等を提供したが、ISがその反政府勢力を制圧して武器や資金を接収した。次に、イラク戦争後の復興の失敗がある。軍人を含む旧フセイン体制派がイラク戦争で「追放」されたことに反発して返り咲きを狙ってISに加わっている。さらに、マーリキー政権の腐敗や独裁に反発するスンナ派住民がISを容認している面もある。海外から多くの「兵士」がISに合流する背景には、フランスなど欧州諸国における多民族共存社会形成の失敗がある。イスラーム教では父親がイスラーム教徒であれば生まれた時から自動的にイスラーム教徒になり、棄教は出来ないことになっている。欧米諸国で生活している移民系の若者は就職が出来なかったり社会的に差別されていると感じて居場所を見つけられないでいるが、こういう若者がイスラーム教徒としての自覚を強めるようになり、そこにISが巧みに勧誘し、それに乗っていくのである。さらに、ロシア(主としてチェチェン)、アフガニスタンなどからも居場所を失った活動家がISに合流する。チュニジアやモロッコでも自国の社会経済的状況に辟易した者、あるいはその他の国でも暴力にあこがれる若者などがISに参加していく。
これに対し、周辺国は対米協力で反IS戦線として統一できないでいる。イランやイラクのシーア派諸国は徹底してISに敵対するが、スンナ派諸国はISに脅威を感じても「スンナ派ならISに攻撃されない」との安心感や報復の怖さなどで、さほど敵対しない。大きな問題はシリアに対する対応だ。アサド政権はシーア派のアラウィ派出身で、反政府勢力はスンナ派だが、スンナ派のISを叩くとアサドの延命に繋がることになる。さらに、サウジはイランを最大の脅威と考えており、また、自国内にクルド少数民族を抱えるトルコは、ISに対峙するクルド民族の台頭を望まない。かくして、脅威と感じているISの台頭に地域の国々が統一的に対応できないでいる。
アメリカはじめ複数国がシリアやイラクのISに対して空爆を始めたが、空爆でISを退治できるのか。この点については、ゲリラ組織は逃亡可能であり、空爆で被害を受けるのはISの兵士より地元住民が多くなる。ISの国民や兵士はいつでも海外から入れ替え可能である。結局、世界のいろいろな矛盾や政策の失敗が絡んでいて、空爆での退治は不可能にも思える。米は地上軍を投入できないでいる。もともとの原因を断つような根本的見直しが必要である。
 
講演後の質疑応答が行われたが主要な応答のポイントは次の通り。
Q:サイクス・ピコ協定(第1次世界大戦中に英仏ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定)がなければ今の状況は変わっていたか。
A:第1次大戦後の様々な矛盾した政策なども原因にある。
Q:イスラームを一括りで見てはいけないが、日本人にとって分かりにくい価値観にはどんなものがあるか。
A:ヨルダンのパイロットを焼殺するようなやり方などはイスラーム教徒としても理解できない行動だ。イスラーム社会は大衆化して伝統的価値観を教えても聞かないような状況になっている。
Q:空爆の影響はどうか。
A:空爆によって、ISの資金源である石油施設が破壊されて財政状況も厳しくなっている、という面がある。
Q:現状の状況がクルド独立に与える可能性は 
A:クルド民族だけが徹底的にISに対して戦っている。それにより、米に恩を売って独立を目指そうとするが、他にも様々な要素があり、果たしてそれが独立に役立つかは不明である。
 

日本で柔道にどう向き合うべきか

  • 2015.02.17 Tuesday
  • 08:22
                                   miura  yamaguchi  flamand
                                judo2  judo1
日本発祥の武道である柔道。オリンピックでは日本に多くのメダルをもたらしてくれる重要な種目。日本各地で柔道を学び、指導する人は多くいるが、最近は柔道人口は減り、高校や大学で柔道部員の確保さえままならないほどだ。柔道は危険だ、練習がキツイというイメージで敬遠されるからである。世界では200の国や地域に柔道連盟がある。地球の隅々まで浸透したのは、心身を鍛える柔道の教育的効果に惹きつけられているためだ。
こんな状況を踏まえ、第33回絆サロンでは、日本では何が問題か、柔道にどう向き合えばいいかなどの見地から3人の柔道指導者をお招きし、会場の参加者と共にパネルディスカッションを行った。
まず、パネリストの先生のお話を聴こう(カッコ内は私の解説)。
三浦照幸先生 「子供のころ『姿三四郎』の映画を見て、それまでやっていた野球をやめて柔道の道に入った。柔道をやる人たちはいい人たちばかりだと思った。三重県の伊勢高、日体大で柔道を学び、柔道が好きになった。怪我や手術なども経験し、恩師の薦めで指導者の道を志し、長年立教高校、東京柔道整復専門学校、講道館、海外などで青少年の柔道指導にあたって来た」「柔道を通じて子供たちに夢を持たせ、また、強さよりも柔道の良さを教えたい」(先生は、74歳の今でも連日柔道衣を身に着け稽古、試合出場、指導に奔走されている。)「勝つことより柔道が楽しいと思って続けていくように指導している」「嘉納治五郎師範の思想にならい、柔道を通じた人間教育を目指している」「子供の寝起きや日常生活での規律などを躾け、鍛えることも大事」「ハワイでもこれまで33年間柔道を指導してきた」(実際、先生は、子供たち一人ひとりの名前を憶えていて、練習中やその前後に子供や親にも声をかける。遠くにいる時でも電話をかけて近況を聞いたり励ましたりされている。子供たちは嬉々として柔道を学び、先生とも楽しそうに、しかし、礼儀正しく話しているのを私はしばしば拝見してきた。教育者としての一貫した姿勢に感銘を受ける。)
山口香先生 (お馴染みの山口先生は、全日本体重別選手権で10連勝、日本女子選手として初めて世界選手権金メダル、ソウルオリンピックで銅メダルなど、輝かしい記録の持ち主。今日も筑波大学大学院准教授、日本オリンピック委員会理事、子供の指導など多方面で活躍中。)「今日問われているのは、嘉納師範の教えた柔道をどう伝え継承していくかである。その場合、伝統は大事だが、形にとらわれず新しいことをやっていくことも重要」「今日の世界は混沌としている。ボーダーレスの世界の変化は受け容れる以外に道はなく、その中で地球規模での文化を良くしていく必要がある。グローバルな社会で何が必要か。子供たちに人間教育を伝えたい」「奥ゆかしさ、曖昧さ、譲り合いなどは日本の誇るべき文化だが、自分の意志を主張することも重要だ。私は世界選手権の決勝で審判の判定にチャレンジしたことがある。(その当否は別として)そうしたら何と結果が変わった。言わなければ伝えられない」「嘉納師範が言われるように柔道を学ぶ上で『問答』をしていくことが大事」「柔道は『道』の文化だ。勉学や知識では得られない善悪も教えてくれる」「勝利至上主義はいけないが正しく競い合い結果を受け容れることは重要。負けても相手がいることによって自分が高められたと思うべし」「柔道の精神を持って人に対し、世の中のためになることを心掛けるべきだ」
フラマン・ピエール先生 (元フランス柔道ナショナルチーム・代表、日本在住14年、現在慶應大学柔道部コーチも務める)「父が道場を運営していて5歳で柔道を始めた。夢はオリンピックで勝つことで、一つの道として合宿参加のために日本に来た」「天理大など、日本での練習は苦しかったが、教え方がフランスとも違うし迫力もあった」「フランスで引退後イギリスで指導もした。仕事のために再び日本に来た」「礼節など、柔道の教育的側面に惹かれる」「フランスでは、スター選手が累次輩出することもあって、柔道は3番目に人気のあるスポーツだ。全国どこにも道場がある。なぜ、多くの人が柔道をするかというと、『柔道は人生の学校』と教えられたり、フランス柔道連盟もそのスローガンを使用しているからである。そして、連盟の方針として友情・勇気・自制心・相手への尊敬の念などを養うようにしている」「子供たちはゲームなども楽しみながら柔道を学ぶことができる」「フランスでは法律に基づいて国家の資格を得た者が道場で指導しており、それなりに職業として生計を立てることができる」(フランスにおける柔道のイメージは日本とかなり違う。柔道を学ぶ子供の親を含め柔道の教育的側面に価値を見出していることが、柔道人口の多さに繋がっている。国家が法制面も含め整備し、全仏柔道連盟も一貫して柔道の価値を幅広く広報していることが注目される。なお、フランスでは状況に応じて試合に臨む選手と趣味で柔道を楽しんでいる柔道修習者の指導・教育を分けて対応しているようだ。)
 
3人の先生のお話のあと、意見交換に入った。会場には柔道経験者もいたがそうでない方も多数いたが、相互に活発な質問や意見が交わされた。主なものをご紹介しよう。
Q:小学生の試合には勝つことを目指すあまり基本習得が疎かになるなど弊害もあるが、フランスでは子供たちの試合は行わないのか。
A:クラブ間の対抗など一定の範囲で試合は行われている。しかし、15歳までは全国大会個人戦が行われていない(フラマン氏)。難しい問題である。試合を多くするのは問題だが、受身をしっかりとることや勝敗の決め方を工夫するなど、一定のルールを決めて試合を行うべきではないか(山口氏)。試合が多いと弊害が出る。基本の動き、礼法、受身をしっかり身につけさせ、試合はその先にあるべきだ(三浦氏)。稽古と試合では子供にとってもモチベーションは大いに異なる。試合では本気になり、普段出ない技が出ることもある。小学5〜6年生なら試合はあっても良い(長野県で子供を指導する長谷川氏)。
Q:柔道を学ぶなかで「世の中の役に立つ」ことも目指すと言われるが、どういうことか。
A:他のスポーツや茶道のような文化にもあるが、柔道には作法や忍耐・礼節など世の中で認められる価値が込められている。勝つためだけのスポーツでは意義が薄い。柔道を通じて人間性が形成されることをどう世の中に伝えるかが大事だ(山口氏)。
Q:現在の日本では柔道人口を増やすのは難しいようだが、強い選手が多く輩出すれば柔道をやる人も増えるだろう。日本柔道はもっと強くなってほしい。慎重すぎてしっかり組むまで技をかけないのでは勝つことも難しいのではないか。
A:勝つことも必要で、そのためにもっと技を出すべきだということも尤もであるが、柔道には礼節などの教育的要素に凄いものがある。日本では暴力事件があったりで柔道は厳しいというイメージがある。子供たちには立派なモデルが必要だ。勝つことだけを目指すのではなく、学ぶ過程を重視すべきではないか(フラマン氏)。日本では負けたり失敗したりすると怒られたり、練習の仕方について「理屈を言うな」と言ってコーチや監督に従わされることも多い。世界で勝つためには、「型破り」な選手があってもいい。また、負けてもいいから技を思い切りかけろとの指導も大事だ(山口氏)。
柔道では心・技・体が言われるが、「心」が一番重要でかつ達成が難しい。謙虚さ、自制心などの人間を作る教育的価値については先生が自身の態度で示してもらうこと重要だと思う(滞日6年のフランス人女性柔道家バッハ氏)。
Q:どのスポーツもヒーローがいないと人気が出ない。野球、サッカー、テニスなどのようにヒーロー的プロ選手を出すことも重要だが柔道のプロ化についてどう考えるべきか。
A:日本では所属先の企業等が柔道選手の遠征費などを部分的に支援することはあるが、プロ選手は存在しない。柔道では同じ選手同士で繰り返し対戦すると勝負がつきにくくなる傾向もあり、プロ化しにくいのではないか(山口氏)。
Q:フランスでは指導者資格制度が確立している由だが、指導者は生計を立てられるのか。
A:指導者として活動するには、長年の指導経験、資格試験のための十分な準備、取得後の不断の講習や研鑽等が必要だ。道場で100人ぐらいの生徒を持てば生計は立てられるし、小さい道場などでは他の職業を持ちながら道場を経営している例もある。
 
 

面白かった、楽しかった、カンボジア旅行!

  • 2015.01.28 Wednesday
  • 18:18

 cch  chia  ravyn

tsubasa  morimoto  taprom
1月14日から21日まで絆郷第2回目のカンボジア旅行が行われ、総勢15人は無事帰国した。参加した人たちは、とても楽しかった、学ぶところが多く感銘を受けたなどと言ってくれた。主催者としてこんなに嬉しいことはない。実際、カンボジアに3年勤務してその後も何度か行ってみた私にとっても、新鮮な感動がいくつもあった。
プノンペンとシェムリアップ並びにその周辺を見て回る8日間の旅の目指すところは、アンコール遺跡をはじめとするカンボジアの文物や現状に触れ現地の人々と接することを通じて、この国の魅力を探り、日本とカンボジアの絆を知ることである。
アンコール遺跡の壮大さと繊細な石彫が語る物語、アンコールワットの背後に昇る朝日の神々しさ、トンレサップ湖の水上生活の興味深い様相、朝、池の水面に咲く睡蓮の可憐な美しさ、多彩で豊かなお土産品など、いろいろ楽しんだが、ここでは人間的側面に焦点を当てて、私なりの旅の感想を書いてみた。
 
人なつこい子供たち、真剣に取り組む姿、目の輝き
脚本家の小山内美江子さんが主宰するNPO法人「JHP・学校をつくる会」がプノンペンで運営する孤児養育施設(CCH : Center for Children’s Happiness)を訪問した。親がなく生きるためにゴミ山で売れそうなものを探し集めていたような子供たちを引き取って、学校に通わせるなどして育てている。数十人の子供たちが我々の前に整然と並んで迎えてくれ、礼儀正しく日本語で挨拶し、習った踊りを披露してくれた。踊りなどが終わると我々のところにきて丸い純粋な目で見つめて身を寄せてくる。可愛らしさに我々は思わず抱いてあげたりする。片言の日本語や英語での会話なので、意思は十分通じないにしても、気持ちは分かりあえる気がする。「こんなに人なつこいのは、親のいない子供たちが人間的な愛情を求めているのではないかしら」と我々の仲間のひとりが言った。階下の庭に下りて、持ってきたおもちゃなどを渡すと大喜びで、たちまち遊びの渦がいくつかできた。日本から来た大人たちとカンボジアの子供たちが、手を繋いだり遊んだりでの賑やかな交流がしばらく続いた。この施設の活動はもう12年目になる。初期のころの子供たちは立派に成長して、なかには海外に留学している子もいるそうだ。10年余り前の私のカンボジア勤務時代に、日本大使館員の夫人たちが定期的にこの施設を訪問していた。私の妻も、そのころ会った女の子が成長してこの施設の仕事を手伝っているのを目の当たりにして抱き合って喜んだ。ナックちゃんというその子はもう英語で立派に意思疎通も出来るようになっていた。帰国後に妻宛てにお礼のメールも来たほどだ。孤児たちをこのように成長させる小山内さんの教育方針が素晴らしい。
カンボジアで教育支援をしている日本の公益財団法人CIESF(シーセフ)が運営しているビジネストレーニングセンターも訪問した。そこに着くと門から教室まで両側に20歳前後の学生たちが並んでカンボジア風に合掌の姿勢で我々を歓迎してくれた。誰もが優しい笑顔を湛えている。部屋に入るとさっと床の上に整然と座って一斉にお辞儀をして大きな声で日本語で挨拶してくれた。カンボジアに最近漸く日本企業が多く進出するようになったこともあり、ここでは日本企業に就職を希望する生徒たちに日本語を教えている。印象的なのは、若者たちの笑顔と目の輝きが素晴らしいことだ。規律と礼儀の正しさは日本の学生をはるかに優るほどだ。日本語のレベルもかなり進んでいるので、我々一行は日本語で自己紹介し、学生たちと対話をした。こちらが何かを聞くと全員で声を合わせて「ハーイッ」と答える。ここでも学生たちの礼儀正しさと積極性に大いに感銘を受けた。日本人の指導者が、日本語だけでなく日本的な規律や文化をしっかり教えているからだろうが、学生たちにはそれを素直に真剣に学ぼうという姿勢がある。私流に解釈すると、明治期の日本のように、国も、それを担う若者たちも前向きに夢と意欲を持って生きているからだと思う。気持ちのいい思いで会場を後にした。
子供の教育の効果という点で、もうひとつの例に触れたい。私のカンボジアの古い友人のひとりで、並外れた情熱と行動力を持ったRavynn Coxen さんという年配の女性がいる。国内外でお金を集めNKFCという基金を創り、長年バンテアイスレイという地区の極めて貧しい村々の自立支援に取り組んでいる。自立支援活道の一環として村の少年少女たちに伝統舞踊を学ばせている。私たちは村に行って、稽古で磨いたその踊りを見せてもらった。全員の動きが見事に調和してゆったりと舞う。クメール伝統舞踊の特徴の指の動きが実に典雅で美しい。信じられないほど練度の高い踊りで、この舞踊団は1昨年アメリカの主要都市での公演で絶賛を受けたそうだ。訪米前にこれを見たシハモニ国王もこの一団を応援し、前文化大臣でクメール舞踊の国民的プリマドンナであるボッパデヴィ王女が名誉会長に就いているそうだ。学校にも行けなかった貧しい村の子供たちがここまでのレベルに達するには凄い指導者による厳しい訓練があっただろうと推察するが、Ravynnさんはこの子たちにはこの付近の寺院の神々の魂が入っているからだと真顔で強調する。ご関心のある向きは、下記URLをクリックしてご覧ください。
https://www.facebook.com/pages/Banteay-Srei-Hidden-Treasure-NKFC-Sacred-Dancers-of-Angkor/614629601902351
 Ravynn女史は、我々を自宅に夕食に招いてくれて、そこでも庭で踊りを見せてくれた。
「今後日本でも披露したいから、ぜひ支援して」と言われてしまった。大きな宿題をいただいた。
 
ODAの凄い効果、日本式人材育成の成果を知る
国際協力機構(JICA)プノンペン事務所にお世話になって、カンボジアにおける日本のODA活動の全体像の説明を受け、そのあとプノンペン浄水場とメコン河架橋の2つのプロジェクト現場を見学した。前者は、もう20年以上にわたり日本が行ってきたプノンペン市民に安全な水を提供するシステム作りと人材育成の支援活動であるが、JICAによれば、海外から「プノンペンの奇跡」とも呼ばれるほどの輝かしい成果を遂げているプロジェクトだそうだ。数字で見ると、1993年には水道管の不備による水漏れなどの「無収水率」が70%だったが、2005年には10%以下に改善した。東京都は3%程度だそうだが、先進国でも30%ぐらいのところもあるそうである。また、水道の普及率は1993年当時は僅か2%だったが、2011年には90%に改善。水道料金の徴収率はいまや99.9%という、東京を含め先進国の都市でも達成できていない率に上昇しているという。今や他の途上国がプノンペン水道公社の経験を学びに来るまでになった由だ。カンボジア人として大いに誇りに感じているらしい。
このような目覚ましい実績は長い年月にわたる日本からの支援の結果であるが、その支援の内容は浄水場の施設整備だけでなく、それを運営するカンボジア人の育成にある。それが成功したのは日本からの指導者の功績もあるが、それを真面目に学ぼうとするカンボジア側の行政官や技術陣の努力の賜でもある。実際、カンボジア人が前面に立って業務を実施しているところは他にいくつもあった。その顕著な例は、アンコール遺跡修復作業の現場にも見られた。遺跡修復作業においては国際社会の支援があるが、これまで日本とフランスが特に大きな役割を果たしてきた。日本側の態勢は、日本政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)と上智大学のアジア人材養成研究センターが中心となっている。私たちが見学した修復現場では日本での留学や研修を受けたカンボジア人が率先して指揮しているのを見ることができた。日本の援助政策の原則のひとつは、被援助国の国民が自ら復興を担うことができるように長い期間にわたり人材を育成する点にある。ここでその成果を目の当たりにしたわけである。
もう一つの視察先はメコン河に大きな橋を架けるプロジェクト現場である。南ベトナムのホーチミン市とプノンペン市を結ぶ国道1号線が横切るメコン河にはこれまで橋がないのでフェリーを使っているが、日本の無償援助で大きな橋を架ける工事が進んでいる。かなり流れの強い大河にがっちりした橋桁を構築して美しい吊り橋が出来つつあった。完成間近な大きな橋を下から仰ぎ見ると、日本の技術の素晴らしさに感激し、完成後に物流が著しく改善し経済発展に貢献するであろうと容易に想像することができる。実は、2003年にもプノンペン北方にメコン河を渡るこの国初めての大きな橋が日本のODAで完成した。当時、私がカンボジア大使をしてた時だが、フンセン首相から日本語の名前を付けてほしいと言われて「きずな橋」という名前を提案して、直ちに採用された。カンボジア政府は喜んで、すぐこの橋の写真を刷り込んだ新札を発行してくれた。今回も新しい橋の名前は日本語で「つばさ橋」と命名されるそうで、近く「きずな橋」と「つばさ橋」の双方を刷り込んだ新しいお札が発行される予定だそうだ。カンボジア官民の日本への感謝の気持ちが表れていると思う。
ODAによる日本政府のカンボジアの復興支援は上下水道、病院、通信施設をはじめきわめて多岐にわたり、また、ハードだけでなくソフト面である各分野での人材育成にも及んでいる。今回は2つのプロジェクトを見せてもらったが、その効果や意義を現場で感じることができた。
ODAは大きな効果をもたらし、現地の官民から深く感謝されている。プノンペン滞在中、私が以前から親しくしているチアソパラ村落開発大臣が一行全員を自宅に招いて歓迎してくれたが、その時の大臣の挨拶のなかに、「日本の納税者に心から感謝したい」という真摯な言葉があった。
 
カンボジアに魅せられ、献身する日本人たち
今回の旅行では多くのカンボジア人と交流したが、現地で活動する何人かの日本人にも会った。実際にカンボジアに住んでカンボジア復興のために力を尽くす日本人はかなり多くいる。今回お会いしたのはそのごく一部であるが、10数年から20年以上住んでいる人も多い。そのなかに、森本喜久男さんという方がいる。森本さんは京都の友禅染のデザインをしていいた方であるが、カンボジアの伝統絹織物の素晴らしさに魅入られて、20年来その復興に全身全霊を投じて頑張っている。美しい絹織物の技術を持つ女性たちの大部分はポルポト時代に失われてしまったが、生き残った年配の女性技術者を探し求めて工房を作り、貧しい村の若い女性たちにその技術を移転する活動をしてきた。その間、ジャングルを切り開いて蚕を養い染料になる植物を育てて、伝統絹織物を見事に復活させつつある。森本さんの工房では、すべて手で糸を紡ぎ、天然の草木で糸を染め、素晴らしい品質の織物をつくっている。森本さんは、糸を紡ぐのも織るのも、どれも「心で行う」ものだと強調する。そこで働く女性たちも子供を近くにおきながら作業をさせることによって、女性たちの心も癒され安心して仕事に邁進しやすくなる環境づくりなどにも心掛けている。近代的な経営者の感覚も持っていることに感心した。なるほど、女性たちは長時間一心不乱に心を入れて作業をしている。出来た作品も作った人の個性や心が現れているとの説明に納得できる気がした。前述したシーセフ(CIESF)が運営するプノンペンの教員養成学校で活動するおふたりの年配の男性は、いずれも日本で教員・教授を退職された先生方だ。そこでの生活が「天国、極楽にいるようでとても楽しい」「すごくやりがいがある」と言って、こもごも嬉しそうに眼を輝かせている。同じく前述の孤児施設CCHの日本人事務所長の木村さんも、かわいい子供たちに囲まれて嬉しそうに仕事をしている。アンコール遺跡救済政府チーム(JSA)の若い現地責任者や上智大学の人材養成研究センタ―の現場代表もそれぞれ滞在年数が長くなっているが、黒く日焼けした満面に笑みを浮かべて、「とてもやりがいがあり、面白い」と言う。どの人からも嬉々として仕事をしている様子が伝わってくる。プノンペンに長期間在住の神内さんというご夫妻がいる。ご主人はユネスコのプノンペン事務所長として活躍し、今も国際的活動をしたり、有力な政治家に信頼されて補佐官の仕事もしているが、その奥様は声楽家で、プノンペン芸術大学などで音楽を指導してきた。プノンペン大学を卒業してカンボジア語の通訳・翻訳を主業務とする会社を興して十数年活躍している山崎幸恵さんにもお会いした。若い女性起業家の社長さんだ。1級建築士でかつてJSAの一員として遺跡修復支援活動に携わった小出陽子さんという方は、同僚であったカンボジア人の男性と結婚してシェムリアップに住みつき、NPO活動などをされている。その他にもカンボジアで2〜3年仕事をしたが、また戻ってきて生活する人も何人か知っている。
いずれも旧知の方々だが、なぜ、カンボジアが楽しいのかと聞くと、多くの人が、「カンボジアは人々が穏やかで、親切で助けてくれるので友達になりやすい」「生活のリズムがゆったりしていて心地よい」「規模は小さくても自分の目指すことが実現しやすい」などと、ほぼ共通して挙げる。
他方で、この国で活躍する日本人の大部分の方々の心もとても優しい。上智大学のセンターの代表を務める三輪さんが話されたなかに次のような謙虚な言葉があり、深く印象に残った。「我々は遺跡の修復に一所懸命取り組んでいるが、自分たちはあくまでも外国人である。外国人がカンボジアの魂でもある世界遺産を修復支援することについて、カンボジア人はどう思うだろうか。もし、終戦後アメリカが中心になって京都の寺院や日本の文化財を修復するようになった場合に日本人はどう感じるだろうか。カンボジア人が先頭に立ってやってもらうのがいのではないか」との自省のことばである。この修復活動を指導する元上智大学学長の石澤良昭先生は、「カンボジア人による、カンボジア人のための修復」という理念を掲げている。こうした日本側の謙虚な姿勢が、カンボジア人の琴線に触れるのだろうと思う。
確かに、カンボジア人と日本人は謙虚で心情的に相性がいいように思う。加えて、ここには日本のあわただしい社会環境や日常生活では感じられない、「ゆったりした」時間や空間がある。こういう環境が好きであれば、住み心地よく感じるのは、私の経験からも大いに頷けるところである。時々カンボジアに行きたくなる私の気持ちもそういう背景があるのかもしれない。
 
カンボジアのこれから
ポルポト時代前後の内戦や政党間の抗争を含めた「失われた30年」というべき時期を過ぎて、カンボジアはここ10年余り顕著に発展している。最近数年の成長率も7%ぐらいで推移している。街には活気がある。日本企業も遅ればせであるが、ようやくこの国に進出し始めている。成長はまだ続く見通しだが、渋滞や格差など、成長や発展に伴う負の現象も見られるようになった。発展に伴って、人々の服装や街の様子に「派手さ」も出てきたが、カンボジアの「心」が失われないことを望みたい。近年中国が顕著に援助量を増やしこの国に影響力を及ぼすようになっているが、日本とカンボジアの心の絆が日本や日本人の努力によってずっと続くことを期待したい。
皆様にも、カンボジア旅行をお勧めしたい。
 

 

会議通訳者長井鞠子さんのとっておきの話

  • 2014.12.13 Saturday
  • 21:43
  
   
長井鞠子という人をご存知の方も多いと思う。歴代の日本の総理や各国元首級要人の通訳をつとめてきた我が国きってのベテラン通訳さんだ。今年の3月にNHKスペシャル「プロフェッショナル:仕事の流儀」でその仕事ぶりや人となりがたっぷり披露されたので覚えている人もいるだろう。実は、そんな有名な長井さんと私は親しい友人同士である。高校3年の時、1年間のアメリカ留学をしたときの同期生だ。なかなか来てもらえない超多忙な人が絆サロンに登場してくれたのは、鞠子さんの友情からで感謝している。
私が聞き役で、鞠子さんの真実に迫った。話は実に自由闊達で面白く、大事な点をついていて、聴いていた人の心をとらえた。あとから多くの人に「第2回目をやってください」と頼まれたほどだ。そのときの「サワリ」を以下にご披露する。
 
なぜ通訳に?
 仙台出身の長井さんは幼いころ、お母さんが英語を話し通訳などをしているのを見て面白いと思ったそうだ。高校時代にAFSという交換留学制度でテキサス州の高校に1年留学し、帰国後国際基督教大学(ICU)に入学。在学中(1964年)に東京オリンピックがあり、水泳競技の通訳をしたという。若い時から目指す方向が決まっていたのかもしれない。ICU卒業後、まるで自然の成り行きのようにサイマル・インターナショナルという日本草分けの通訳会社でプロとしての通訳を始め、今日まで現役の会議通訳者として活躍している。歴代の総理の通訳、各国要人の通訳、サミット(主要国首脳会議)、国連やオリンピック関係の重要会議の通訳を数多くこなし、引っ張りだこの毎日である。私の質問に答え、「まあ、お声がかかれば80歳ぐらいまでは続けたい。90歳台になったら趣味の音楽(丸の内交響楽団所属のれっきとしたビオラ奏者でもある)の方に転ずることも考えたい」という。そのヴァイタリティーや意志の力は超人的である。
 
通訳とは? 通訳のコツは?
 通訳の仕事を見ていると凄いなあと思う。あらゆる分野のテーマについてどんどん通訳していく。同時通訳というと、なおさら頭が良くて回転が速くないと務まらないように思える。知らない単語が出てきたらどうするか、話す人がトンチンカンで意味不明のことを言った時はどう訳すのかなどと心配する。プロの鞠子さんに様々な質問をぶつけてみた。すると、立て板に水を流すようにどんどん答えが出てくる。話の内容が具体的で、臨場感もあり、とても面白い。かと思うと、なるほどと思わせる深い示唆もある。
彼女が言うには、通訳は英語(外国語)ができればよいというものではない。それぞれ文化の違うところで形成された言語の橋渡し(コミュニケーション)をするので、文化の違いに関心を持ち、違いが意味すところのものを理解できることが必要になる。言葉は人間の営みを反映する。だから、通訳としては、まず人間に対する関心が強く、世話好きで、おしゃべりであることが重要になる(なるほど、長井さんもとてもおしゃべりだ)。「ことばの上に『人間』がいる」からだ。人間の営みの多くのことに関心があるべきだが、一つ一つを深く掘り下げていたらやりきれないから、表面をひっかいてみるような感じで多くのことに関心を向けて、それぞれの事象について一定の感覚を持つことが重要だという。通訳は森羅万象の話題を通訳しなければならない。事前準備が大変でしょうというと、2時間の会議のために5日間ぐらいかけて勉強する仕事もあるそうだ。膨大な資料が渡されると、それを一定の時間で理解しなければならないが、それも勘や慣れ、経験がものをいう。「スキルは磨くもの」だそうだ。
 通訳には、「無機質」型と「乗り移り」型があるが、長井さんは明らかに「乗り移り型」だと自己分析する。きちっと言葉通り訳していくことに重点を置くというより、通訳する相手の人になりきって訳さなければならないと考える。たとえ自分と考え方が違ったり、好感が持てなくても、仕事としてその人の気持ちに立って訳すことが必要なので、その人になりきろうと努力すると語る。
 因みに、長井さんは超多忙な中で趣味として和歌を勉強しているが、それは、漢語では適切に表現できない心を「やまとことば」で伝えることができるよう、言葉を極めたいとの気持ちからだと説明してくれた。長井さんの言葉にはプロとしての凄い心構えや風格が感じられる。
 
国際会議での日本人
 長井さんの近著「伝える極意」(2014年2月発刊、集英社新書)の中に「国際会議での日本人」(第4章)というのがあって、小項目に「居眠り」「『みなまで言うな』の文化」「日本人の『顔が見えない』理由」などの興味をそそる話題がある。
 そのようなテーマに話題を転じると、長井さんは、一般的に日本語は論理的でないと言われたり、日本人はプレゼン能力が低いと批判されたりするが、必ずしもそうではないという。因みに、あの小沢一郎さんの演説は結構論理的で訳しやすく、外国人にも通じやすいのだそうだ(私は、ヘーッと意外に思ったが)。日本人の発言には全てのことばを使っていなくても論理はあるので、よく聴いて、なぜそう言ったのかなどと分析してみると理解できる。それを訳せば通じることになる。日本語の「余白」「余情」のような表現も、分析して訳していく。それにしても、そうするにはとっさの分析をする能力が必要だが、それは普段の意識的な訓練で磨くことができるのだそうだ。
プレゼンだって、上手な日本人は少なくはなく、それは、訓練がものをいうと説く。先般のオリンピック・パラリンピックの招致活動では関係者がイメージを描きながら繰り返し繰り返し、実に熱心に表現やジェスチャーの訓練をした。聞く人にアピールできたのはその繰り返しの訓練の賜物だそうだ。通訳者の鞠子さんも一緒に練習したそうである。
 
世界のリーダーたち、日本の歴代総理のそばで
世界の指導者たちの通訳経験が豊富なので、ずいぶん面白いエピソードもお持ちだと思う。出来れば未公開の秘話でも聞きたいものだが、職業倫理上そうあからさまには言えないのも理解できる。1980年代半ばごろの中曽根総理時代のボンのサミットでは、世界のリーダー達の姿が印象的だったという。カギタバコを手にするドイツのシュミット首相のカッコよさ。ソ連がペレストロイカ政策を始めたころ、サミット主催国であるイギリスのサッチャー首相はサミットに初めてゴルバチョフ・ソ連共産党書記長を招いて議論の仲間に入れた。まさに歴史の大きな転換点に通訳として現場に身を置いた鞠子さんは、全く違う明るい感じのソ連のリーダーの出現で冷戦終了を実感したという。
日本の指導者の中では、中曽根総理が、論理性や説得力で首脳外交において目立った影響力を発揮したそうだ。自作の俳句を披露するなどして、他国の指導者たちを感心させることにも長けていた。日本的な素養を持つことも一国の指導者として敬意を惹きつける所以である。故大平総理は言葉少なに「アー、ウー」を繰り返していたと一般には批判されたりもしたが、実際の大平さんは、話の全体を分析すると、論理もあり、また深い思想もある。メディアの安易な批判だけではわからない。現場に立つ人の視点もし知る必要がある。日本の指導者にも立派な人もいることを長井さんは示唆したのだろう。私も中曽根、竹下両総理時代に外務本省にいて総理のお供で首脳外交のお手伝いをしたが、全く同じ感じを抱いたことを思い出す。
 
若い人へのメッセージ
 最後に、近年「グローバル人材育成」が叫ばれるようになったなかで、若者へのメッセージを求めた。彼女の答えは、「とんがった人になれ」ということだった。つまり、言葉がうまいだけではだめだ、周りの空気を読んでうまく立ち回るのではなく、自分の考えを持って主張せよということだと解説してくれた。自分が泣いているのなら、なぜ泣くのか説明しなければならない。日本的な見方や考えを披露しながら相手が興味を持つことに意見を表明すれば、おのずと周囲は興味をいだき尊敬の念を持つであろうという趣旨である。

「もじれる社会」と若者

  • 2014.11.04 Tuesday
  • 20:37
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今日の社会の中で若者が苦しんでいることについて、教育社会学が専門の本田由紀東京大学大学院教授は近年積極的な論陣を張っている。「もじれる社会」とは、もつれ、こじれる現在の社会を指す言葉だそうで、発刊されたばかりの先生の書名でもある(11月1日付「週刊東洋経済」誌の書評参照)。
10月28日の第31回絆サロンで、本田先生が熱弁を奮ってくださった。用意していただいた豊富なパワーポイント資料は、教育、仕事、家族の三つの分野を繋ぐ三角形の視点で日本社会を分析して今日の若者が遭遇している諸問題を明快にひも解いてくれる。
以下は、複雑多岐な問題に対する先生のお話を、私がごく大雑把にまとめたものである。
 
(戦後日本社会の変化と二つの世代)
戦後の日本社会は、高度成長から安定成長に移る1972年前後およびバブル崩壊の1991年の前後を境に大きく変化した。生活保護世帯数、失業者数、大学等進学率、産業構造、その他の社会指標は、特に後者の変化が顕著であったことを物語っている。戦後の1947年頃生まれた団塊の世代と、その子供たちである1972年前後に生まれた団塊ジュニア世代のライフコースはそれぞれ、この社会変化から大きな影響を受けている。
高度成長期から安定成長の時代にあっては、「戦後日本型循環モデル」が極めて順調に機能した。政府の産業政策が奏功し、正社員を中心とする雇用は長期安定し、年功賃金も有利に働いて家計を向上させた。家庭では母親が中心になって高い教育意欲のもとに教育費を積極的に投入していたことにより、教育に対する公的支出の少なさを家計が補っていた。一方、教育が生み出す新規労働力は新規学卒一括採用などに反映される旺盛な若年労働力需要を満たした。
しかし、それまで太い柱で繋がれうまく組み合わされて上昇してきた教育、仕事、家族の関係は、バブル崩壊の90年代以降は破綻してバラバラになって来たのである。財政赤字もあり、セーフティネットも切り下げられ、経済成長率の低迷により賃金や労働時間が劣悪化し、非正社員が増加し、貧困に耐える個人も増加した結果、家庭での教育費支出や教育意欲も衰え、家庭間格差も拡大した。若者の中には離学後に低賃金で不安定な仕事につかざるを得ない層が増大した。その結果、現在では国際的にみても日本は富裕層と貧困層の格差や貧困率などで他の先進国に比べて相当劣っている。従って、今日の若者の苦境は彼ら自身の甘えなどによるものではなく、社会構造の変化から来るものである。
(仕事の現状)
循環モデルが破綻した現在の状況では、正社員の比率が減少し、非正社員が増大した。正社員でも「ジョブなきメンバーシップ」が生み出す長時間・過重労働の問題があり、心身を病む者も増加している。非正社員は「メンバーシップなきジョブ」で雇用の不安定さ、低賃金、手薄い教育訓練などに苦しめられている。
(教育の現状)
 成長期には「学力」という基準に基づく選別と自己選別が強固に存続して循環モデルが機能した。90年代半ば以降は「人間力」「生きる力」などの基準も加わるが、学校での習得は保証されずに家庭の経済力に左右されて格差化が進み、不安が増している。現在の生活や将来の仕事に意義・有用性を持つ具体的な知識やスキルを形成する教育は少なく、若者の学習意欲も低下している。国際的にみると、教育内容では日本は先進国の中で普通科に著しく偏っているし、企業の曖昧な採用基準などの問題からマッチングが非効率であり早期離職も多い。学業終了時の若者は十分な職業的準備もできないまま、いわば「赤ちゃんの状態で」社会に引き渡されることになっている。学卒一括採用から漏れた者への支援も手薄である。若者の就活自殺も増加傾向にある。
(家庭の現状、若者の意識)
高度成長期から90年頃まで、企業の安定雇用と年功賃金もあって、家庭は父母の性別役割分業を前提として子世代と高齢世代の扶養を担ってきた。仕事・家族・教育の間に密接な循環が成立していたが、90年代以降は正社員の過重労働、非正社員の低い賃金などによりこの循環が崩れ、格差や分断が拡大し、家族内の役割分担の混乱や合意の崩壊が起きている。家庭の経済力が学力や進学に影響を与え、仕事の内容や賃金レベルから家族を持てない若者も増えている。
こうした中で若者の意識調査を見ると、日本では諸外国に比し自己を肯定的にとらえる者の割合が低い、憂鬱と感じる者の割合が高い、意欲的な取り組み意識や規範意識が低い、社会参加意識・家族といるときの満足度・友人関係や学校への満足度なども相対的に低い、将来への明るい希望も低いなどの問題がある。早く結婚して自分の家庭を持ちたいと思う意識は欧米諸国と比較して相対的に高いが、40歳になったときに、結婚している、子供を育てている、というイメージを持っている者の割合は相対的にやや低い。
(どうしたらよいか)
こうした状況は深刻であるが、新たな循環モデルを作ることが重要である。そこでは、NPOや社会的企業を含めてジョブ型正社員を増大させ、ワークライフバランス改善や男女共同参画等を通じて家庭と仕事を両立可能にすること、教育面では学校を保護者や地域に開かれたものにしていくこと、学校が家族へのケアの窓口になることが重要である。また、教育の職業的意識、リカレント教育を強化することなどが重要な要素である。これらによって仕事、家族、教育の間に強固で双方向の新たな柱を築いて繋いでいくことである。政府には職業訓練などのアクティベーションやセーフティネットの構築などが期待される。
 
講演後、参加者の中で最も若い29歳の男性が感想を述べた。大要、「自分は日本の社会で朝から晩まで働いたがやりがいを見つけられず、将来の生きる道を模索するためインドネシアなどで柔道などを教えながら生活をしている。日本では随分落ち込んだりしたが、アジアで生活してみて自分の生きる意義や価値が少しわかり、幸せ感も持てるようになった。先生のお話を聞いて、自分が日本でうまくいかなかったのは自分だけの責任ではないということも感じて、救われ勇気づけられた」という趣旨だったかと思う。
私自身、先生のお話を聞いて、今日の社会の問題の深刻さと課題の膨大さに胸が締め付けられた。単純に今日の若者に覇気がないと批判することは間違いであり、家族・教育・仕事の面から社会の構造問題を知って若者に寄り添い、「もじれる社会」を変革することが重要であるということに気付く。それでも、新たな循環モデルを創ることは決して簡単ではない。そうであればこの問題についても政治の指導力が極めて重要である。「女性が輝ける社会」など安倍政権は果敢に新しい政策を打ち出しているが、もうひとつ、「若者が希望を持てる社会」をつくる政策も強力に打ち出してもらいたいものだ。
その観点から思いつくのは、私が在勤したデンマーク社会の仕組みである。デンマーク社会は今日の日本社会の対極のようにうまく機能している。学校における幅広い職業教育や離職後の手厚い職業訓練による転職の容易化、原則無料の教育費などはもちろん税金で賄われる。税金が高くても世界一の幸せ感を持つデンマーク国民には、「高負担、高福祉」の制度に国民的コンセンサスがある。残業のない職場、家族が一緒にいる時間が極めて多く男女協働で家事育児に携わる生活などは、出生率を高め、女性の就業率の高さに貢献し、それが国家の税収増にもつながる。日本では真似のできないことも多いが、税金の役割やワークライフバランスについては参考にできることも少なくない。

「迷路に迷い込んだ日中・日韓関係」

  • 2014.09.26 Friday
  • 16:20
   
9月12日の第30回絆サロンは近隣国との関係について考えるとの趣旨で、谷野作太郎元中国大使にお話を伺った。日本にとって最重要ともいうべき日中、日韓関係はかつて例のないほど悪化している。こういう時にこそ、冷静に考える必要があると考えたからだ。
谷野元大使は外務省OBであるが、韓国勤務、中国勤務、アジア局長、内閣外政審議室長、インド大使、中国大使などを歴任された。長い勤務の大部分をアジア外交のために心血を注いだ方である。アジアとの関係で歴史に残る大平内閣時の中国に対するODA(政府開発援助)供与、終戦50周年の際の村山総理談話作成、従軍慰安婦問題に関する河野談話作成など多くの重要局面に中枢部で深く関わられた。信念に基づいて揺らぐことなく、国内外の複雑な考え方を調整して実績を残された方である。
深い経験に基づく中国や韓国の実情、我が国との関係にかかわる具体的事実などの説明は興味深く、ちょうど百名にのぼった参加者が熱心に耳を傾けた。
以下は講演の要旨である。
 
迷路に迷い込んだ日中・日韓関係
一昨年は日中国交正常化40周年であったが、日中関係は「不惑」どころか誠に憂虚される状況に立ち至った。来年は日韓国交正常化50周年であるが、はたして、日韓両国が祝福しうる年となるだろうか。日中には尖閣諸島問題や靖国参拝問題、戦時中の中国人の徴用工問題があり、日韓間には慰安婦、戦時中の朝鮮半島からの徴用工、竹島などの問題がある。徴用工の問題は今後厄介なものになる可能性がある。そのような日中、日韓関係の下、双方の側に少なからぬメディアの報道、反日テレビドラマ、ヘイトスピーチなどいびつなナショナリズムの心情が張り付いてこれを煽り立てる状況が続いている。何か出てくると、筆をそろえてワーッと襲いかかる日本のメディアの「空気の科学」ともいうべき現象がそこにある。メディアの役割は権力へのチェックということではないか。従軍慰安婦問題に関する朝日新聞の報道は遺憾であった。本来日・中・韓が牽引すべき「東アジア共同体」も死語になってしまう中で、歴史問題を巡る中国と韓国の連携プレーまで現れている。
 
日中関係
そんな中、中国は「解鈴系鈴」、すなわち、問題を起こした側が問題を解決せよと日本に対応を迫る。これに対し、安倍首相は「対話の窓はいつも開いている」「条件を付けることなく首脳会談を」と平行線のまま、進展はない。11月のAPECで日中首脳会談が取沙汰されているが、ただ会えばよいというものでない。両首脳はそれぞれ何を語るのか、そのためにはある程度の事前の準備作業が必要であろう。
中国側はすべてを党(政治)が差配するという国柄である。日中政治・外交関係が問題を生ずると、予定されていた各種の交流プログラムは党の指示で相次いで中止や延期を余儀なくされた。せっかく準備した日本側関係者には「もう中国との交流は願い下げ」という感情が生まれる。中国では政治の意志が最も重要である。政治が司法検察の上に立ち、我々の世界では仕組みとしてある三権分立の考えも通じない。かくして日中双方において相手方に対する国民感情は正常化以来最低のレベルにある。一部の有識者の勇気ある発言も通じない。中国はいつも責めはすべて日本側と言い立てるだけでなく、これまで中国側の対応にも間違ったところがなかったのか、なぜこれほどまでに日本で嫌中感情が広がってしまったのかという点についての厳しい自省が必要だ。
2012年に当時の呉邦国全人代委員長は、中国は5つのことをやらない(5つのノー)という「北京コンセンサス」を発表した。すなわち、中国は、①多党制による政権交替、②指導思想の多元化、③三権分立と両院制、④連邦制、⑤私有制の5つを今後もやらないという。このうち問題は三権分立の否定。これでは中国側に政権が独りよがりになるのをチェックする仕組みはなく、日中関係も、司法の世界も含めその時々の空気で中国側の政治が差配するということにもなりかねない。21世紀の国際社会の課題は、このように我々の国柄と諸事異なり、透明性を欠きながら巨大な存在となってゆく中国との間で如何にして安定した関係を結べるかということになろう。
 
日韓関係
朴大統領は、「一部の日本の指導者による誤った歴史観と退行的な言動により、日韓関係が前進できないことは残念」「日本が今からでも指導者が正しい歴史認識をもとに周辺国と信頼を基盤に協力関係を構築していくことを心から願う」との立場である。韓国は、河野談話の作成経緯に関する検証委員会のレポート、とくに「談話」作成の過程で、「非公式かつ極秘」という前提で行われた韓国側と日本側(外務省)との間のやりとりを一方的に表沙汰にされたことにも激しく反発した(なお、いわゆる河野談話はあく迄、当時の内閣外政審議室が内外にわたる自らの調査と聞き取りに基づき、主体的に書いたものであることを強調しておきたい)。他方、安倍総理は日韓関係の重要性を指摘し、「対話のドアを常にオープンにし、あらゆるレベルで対話を通じて協力を深めるよう努力する」という。日韓関係は少し良くなったとの見方もあるが、基本的な事態は動かない。
50年前の日韓国交正常化の際、当時の佐藤首相はこう言った。「日韓関係には遺憾ながら不幸な時代があり、この時代について韓国民が心に深い傷あとをもっていますことは、日韓の新しい関係を展開して行くに当たっても、われわれが銘記しておかなければならないことであります。…われわれとしましては、… 韓国民と誠意を持って協力し、その繁栄のために応分の寄与をすることによって、このような韓国民の心の傷あとが次第にいやされてゆくことを祈念します。」他方、韓国の丁一権首相は、「両国の国交正常化は両国の利益と繁栄はもちろん、全自由陣営の安全の要請にこたえるもの。いまや両国は過去の関係を清算し、これからは友好的な隣人として出発することとなった。」と言明した。
自分(谷野氏)は1984年から88年のソウルオリンピックの前まで韓国に勤務したが、多くの韓国の友人たちを得、思い出に残る経験をした。心が弾むソウル勤務であった。
韓国人は「情」が強く、また「情治」の社会である。それが日本に向けられると36年にわたる植民地統治に対する「恨」という感情になる。慰安婦問題は両国政府間で決着させたはずだったのが、また「情」が出てきて、憲法裁判所までが国と国との間の決着を覆す判断をする。
 
おわりに
 大事な日中、日韓関係を「島」と「歴史」の虜にしてはならない。この観点から、われわれが心にすべきことを述べてみたい。
 従軍慰安婦問題については、戦争の狂気の中で起こったものだが、①日本人として少なくとも当該の女性たちが負った心身の傷あとを共有する姿勢が必要だ(あの女性達は皆金目あてだったなどという言い方は国際的に通じないし、日本(人)への目線を下げるばかりである)。②この問題は朝鮮半島だけなく、日本の占領地でも起きた。例えば、インドネシアにおいてオランダ人女性達をこの目的のために利用した(もっともこれはその後中止され、軍の責任者はBC級戦犯として処罰されたが)。
 42年前の日中国交正常化の中で、田中角栄、周恩来両首相など日中両国の政治リーダーたちは何を語らい、何を約束したのか。それは、日中(中日)の平和友好協力関係は、日、中の利益、アジアの利益、世界の利益であるということである。第2に、両国はアジアにおいて覇権を求めず、また第三国によるそのような試みに反対するという反覇権の考え方であった。そして、「『歴史』を鑑として未来を拓く」ということだ。
 大事な両国の関係を「島」と「歴史」の虜としないために、こうした事も踏まえ、今の状況を打開するために高い政治のレベルで強い意志と勇気が不可欠である。青少年など人的交流も勿論大事であるが、政治の意志がなければいくら交流しても砂漠に水がしみこむが如く効果が薄い。米国のある政治家がこう言った。「世論に耳を傾けない指導者はおろかな指導者、世論とともにしか動かない指導者は平凡な指導者、真の指導者とは、志を立てて世論を説得し、これを引っ張っていく指導者」
 同時に国民やメディアでのレベルでも、反中、嫌中、反韓、嫌韓を煽る一部メディアの報道やヘイトスピーチなどについては、心が痛むばかりである。
 最近の若者には、自分の意見を持ち、スピーチやディベート能力を磨いてほしい。異文化に積極的関心を持ち、国語力、英語力を身につけ、また、近・現代史の知識を身につけてほしい。中国や米国と戦争したことを知らない(中国が戦争賠償の請求を放棄したことを知らない)。“真珠湾”と聞くと、“三重県にある湾のことですか?”との問いが返ってくる。“竹島”の話になると“竹島さんって誰のこと?”と。これでは中国や韓国の若者達としっかりした対話が成り立ち得ようはずもない。
 
以上が谷野さんの話された内容である。ときどき怒涛のように押し寄せる複雑な日中、日韓間の諸問題を長年政府の中枢部で対応に取り組んでこられた谷野氏のお話は静かであったが、いくつかの重要なメッセージを含んでいると感じた。
谷野さんは、まず、大事な日中、日韓関係を領土問題や歴史問題で壊すべきでないと訴え、日中韓それぞれの政治指導者がこれまでの合意や経緯を踏まえてこの地域全体の利益の見地から強い意志と勇気をもって指導力を発揮するよう厳しく注文された。そして、われわれ国民一般に対しても、まず、中国における「政治(党)による差配」や韓国における「情治」のような社会構造をしっかり念頭に置いて冷静な対応が必要なことや、従軍慰安婦問題については女性たちの心の傷あとを共有する姿勢こそが大事であることを説き、相手国への反感を強めるようなメディアの過剰な報道やヘイトスピーチへの警鐘も鳴らされた。日本側における近・現代史の知識の欠落にも指摘があった。
講演後の懇親会では約70名が残り、谷野さんを囲み遅くまで語った。谷野さんはゆっくり食事をとる暇もなかったが、参加者の中に旧知の外務省OBやジャーナリストたちも多数おられたため、最後まで懇談を楽しまれたようだった。

サハ共和国に行ってきました!

  • 2014.08.12 Tuesday
  • 21:27
             サハ1  サハ3

             サハ2  サハ4
7月下旬に一週間ほど、サハ共和国に行ってきました。サハって、ご存知ですか。ロシア極東部にある共和国です。永久凍土に覆われていて冬は気温がマイナス60度にもなる極寒地帯とか、首都ヤクーツクにはロシアの3大河川のひとつのレナ川が南北に走っていると言えば、「ああそうか」とイメージが湧く方がいるかも知れません。面積は相当大きくて、インドよりやや狭いけれど、アルゼンチンより広く、日本の約8倍の大きさです。でも、人口は95万人程度だそうです。
私のモスクワ勤務時代(1988~90年)にも行ったことのない地域に、なぜ今頃行ったのかと言いますと、経済や文化(能楽)を通じてサハと交流されてきた知人からのお誘いを受けたからです。これら知人の紹介で、以前にサハから来日した文化大臣ご夫妻や対外関係省の方々にもお会いしたことがあります。これまで培ってきた交流をベースに、双方に友好協会をつくろうとの動きがあり、それに乗っての旅で、先方の温かいおもてなしを受けました。
私にとって初めての訪問なのでワクワク感がありました。行ってみるとやはり珍しいことが多いうえに、相手方の人々の優しい感情や日本への強い親近感を感じて、とても嬉しい思いでした。まだ知らないことを知り、知らない人々と親しくなるというのは、まさに「絆郷」の目指すところでもあるのです。
面白かったことをいくつか書いてみます。
先ず、この国の人口の半数近くがサハ民族です。トルコ系でモンゴル人とも混血しながら13世紀ごろ中央アジからこの地に住みついた人々で、顔つきは日本人にとても似ていて親しみを感じます。対外関係省の副大臣は、サハと日本は似ているところが多いと言って、自然のなかに神々が宿るという宗教観や日本語とサハ語の文法が似ていること、さらにはサハのレスリングと日本のすもうなどを挙げたうえで、顔つきも日本人は親戚みたいだと言っていました。日本への観光客や留学生も増えつつあり、交流を深めたいとの熱意が溢れていました。
この国は天然資源に恵まれ、とくにダイヤモンドはロシア全体の99%を産出する他、金、銀、石炭、木材なども豊富です。最初の日に国庫展示館を見学しましたが、驚くほど大きいダイヤモンドがたくさん展示されていました。天然資源の豊富さもさることながら、金や銀、あるいはマンモスの牙を使った彫刻などの工芸品が実に精巧です。意匠やデザイン感覚の素晴らしさに目を見張りました。オロンホと呼ばれる伝統的叙事詩劇もあり、オペラや劇場の数も街の規模に比して多いと感じました。かつてカンボジアでも感じましたが、どの国にも敬意を表すべき高い文化があるものです。
ヤクーツクに着く少し前に空から見た景色は、川や湖沼が多い、自然のままの大自然でした。街に入ると、道路はデコボコが多いのですが、それは永久凍土の表面部分の一部が夏になって融けたりするので不等沈下が起こるからだそうです。少数ですが家の屋根も不等沈下で歪んでいるものもありました。永久凍土の一部をくりぬいたマンモス博物館に入ってみると、中は零下20度以下で随所に氷の彫刻が飾られていました。さらに温度を低くした一室にマンモスの頭が展示されていました。 9年前の日本の愛知万博で展示されたものだそうです。この国には野生の馬が多数います。冬の寒さ(マイナス70度を超えることもある)にも野外で生き抜いてきた、ちょっとずんぐりして可愛い顔をした馬です。食肉を提供したり輸送に貢献したりで、馬がサハ人を救ってきたとの説明もありました。この国の北極圏にはトナカイも生息しています。トナカイの肉のシャシリク(串焼き)も御馳走になりました。とても美味しくてウォッカともよく合います。
ウォッカと言えば、しばしば前菜に供される魚とも実によく合います。ウォッカ大好きの私はモスクワ時代を思い出しながら、昼も夜も毎日いただきました。昔のように、一気飲みを繰り返すのは出来なくなりましたが、何口かでグラスを飲み干すとすぐ注いでくれるので、それが悪循環になって相当量飲んでしまいました。各人が次々と交代で適当な口上を述べて乾杯をしていきますので、飲む回数が増えていくのです。
海外出張中の文化大臣に代わり奥様が郊外の別荘(ダーチャ)に招いてくださいました。 本当に大自然の真っただ中に木で作った現地風の家に娘さんやお孫さんと暮らしていました。森や野生の花や池や山など、本当に綺麗です。奥様はこういう自然の中で暮らしていると心が洗われると、満面嬉しそうにしていました。私たち来訪者は、夥しい数の小さな虫が人の周りに舞っているのにはちょっと困りましたが。
レナ川は本当に大きいです。川幅が4キロ余りもありました。レナ川の畔の政府の別荘にも泊めてもらいました。翌日高速モーターボートで1時間半ほど上流に遡り、ユネスコ自然遺産のレナ川石柱自然公園に行き、聳え立つ巨大な奇岩の裏側の山を登って、岩の裏側からレナ川を眺望しました。絶景です。因みに、ガイドは、細い目をした「大和なでしこ」風の日本人のようなお嬢さんでした。サハの人は日本人観光客の来訪を心待ちにしているようです。
親日的な人々が多いことも事実ですが、知日派の日本に対する知識の深さにも驚くものがありました。この共和国の青少年の理数科のエリートを養成する学校を訪ねましたら、教官の中に日本文学に造詣の深い先生がいて、芥川龍之介や安倍公房など、多くの日本文学を読んだという方がいました。私たちを迎えてくれた対外関係省の若い儀典長は日本語がペラペラですが、お酒を飲んで歌を歌う段階になると、日本のたくさんの童謡を歌ってくれたのには驚きました。我々日本側の3人は2番、3番の歌詞などはうろ覚えでしたが、彼はずっと歌い続けました。日本にも留学して日本語が流暢なピョートル(愛称ペーチャ)はまだ20代半ばの若者ですが、なぜか美空ひばりの歌が大好きだそうです。日本では私のような老人しか知らないひばりの歌を、このサハの若者と一緒に歌ったのも愉快でした。因みに彼の顔も日本人そっくりで、日本では誰が見ても日本人だと思うでしょう。迎賓館の料理人は女性ですが、この人も日本人に似ています。日本で料理を研修したそうで、朝食に和食を出してくれました。
そういえば、サハの全体像を説明してくれた副大臣は、以前に10年ほど柔道をやっていたそうで、日本との柔道交流にも期待を寄せていました。私から、日本の相撲界にサハ出身の力士が来れば、サハの知名度が上がるでしょうと期待を表明しておきました。
柔道といえば、もうひとつ驚いたことがあります。今回の訪問で私は教育スポーツ省関係の施設で講演をしました。演題は、「世界を歩いて思うこと」と題して、世界には様々な戦争や民族紛争が絶えないが、こうした中では、しばしば無知や誤解や偏見が抗争を激化させている面があることを指摘して、交流を通じて相互理解を深めることの重要性を訴えました(講演の原稿は、私のホームページ(http://www.judo-voj.com/Japanese/saha.html)に載せました)。その一例として、柔道家の山下泰裕さんが、自身のNPOでイスラエルとパレスチナの青少年やコーチに柔道を指導する中で、イスラエル・パレスチナ双方の子供やコーチを一緒に練習させたりすることにも務めています。その結果、当初ぎこちなかった双方の間で、同じ柔道を学ぶ人間同士との気持ちが高まって仲良くなったことに触れました。子供たちも姿勢を崩さずずっと聞いてくれました。そして、講演後の質疑応答では大部分の質問が柔道に関するものだったので、ちょっと驚きました。中には、専門的で、具体的な国際ルールの問題について私の見解を問うものもありました。「柔道をやっている人はいますか」と聞くと、子供を含め多くの人が手を挙げました。余談ですが、柔道はこのように世界中で関心を持たれているのに、逆に本家の日本では、いまや学校や大学で柔道をする人が少なくなり、部員の獲得にも苦労しているのが実情です。
ソ連の末期をモスクワで経験した私の印象は、旧ソ連時代の経済や社会の仕組みが著しく不合理で非効率であったということでした。だから、その後遺症がまだロシア社会に残っていることには驚きませんが、サハ共和国では先進的な取り組みをしている面もあることに印象付けられました。幼稚園と中高レベルでの新しい学校のシステムが実現しつつあることです。日本でも待機児童の多さが問題になっていますが、サハではこの問題を解決する一助として大規模で凄く近代的な幼稚園や学校を作り始めています。それは、英語でCenter for leisure and healthcare と呼んでいる施設ですが、幼稚園のレベルと7歳から18歳及び18歳から22歳のレベルに分けての子供の教育と健康改善のための新しいタイプの施設ができていることです。見学してみると、先端的な医療機器を完備させた健康管理のシステムがありました。空気のイオンの量や塩分の量なども計測しながら子どもたちの心身の健康を改善するための装置がたくさんあり、教官や職員もかなり多数配置しつつあります。中高レベルでは共和国各地の生徒たちを、3週間ずつこの施設に合宿させて教育や健康を改善させるとのことです。大学生や大学卒業生ぐらいの若いスタッフが数カ国の外国語で青少年を教育する制度も作り、これら若いスタッフには英語やフランス語など外国語が流暢な者がいました。外国の若者も3週間の研修に受け入れているので、日本からも生徒を送ってほしいとの誘いもありました。
もうひとつ、印象に残ったことがあります。この国における女性の役割の高さと言うことです。日本は、女性の管理職の割合や国会などの重要な機関での女性の割合が世界の中でも最も遅れている部類に属しますが、サハはこの点で凄く先進的です。女性の副首相ともお会いしましたが、明るく闊達な方で、社会の各層で女性の進出が当然のように語っていました。製品開発や教育など、どの分野であれ女性の感性や能力を活用しないと社会の健全な発展に繋がらないことは明らかですが、日本はやっと安倍政権になって本格的な取り組みが始まったばかりです。
 
全体的に見ると日本は高度に発達した社会ではありますが、まだまだ遅れている面もあります。逆に、サハはまださほど発展した社会ではありませんが、日本が学ぶことができる要素ももっています。あらためて、どんな国にも、優れた点や参考になることがあるものだということを感じ、国際的な交流の重要さを認識した旅でした。
日本にサハとの友好協会ができたら、双方の交流を進めるお手伝いをする気持ちになってきました。

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