カンボジア再々訪:変ったもの、変わらぬもの

  • 2014.02.28 Friday
  • 05:22
2月半ばに急ぎ足でカンボジアに行ってきた。出発は予想外の大雪で24時間遅れたため、予定より1日少ない滞在となった。暑い国へ行くので夏服を着ていて酷い目にあった。
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カンボジアの勤務を終えてから11年。その後この国に戻ったのは、3年2か月ほど前のことである。近年は年率7%台で成長を続け発展していることはよく聞いていたが、行って見ると、先ず飛行場からプノンペン市に入る道路が3年前よりはるかに混雑して渋滞しているのに目を見張った。街に入ると以前にはなかった高層の建物が2つ聳えていたが、いずれも銀行だそうだ。昔は随分小さな銀行があっただけなのに、銀行の数が増え、その大きなビルが威を競うのは発展のスピードを物語る。プノンペン在住の友人さえ、「自分たちが知らない間に新しいて建物がどんどん出来ている」と驚くほどだ。街の中心部のトンレサップ河とメコン河が合流する地点の発展も目覚ましい。新しくできたカジノの隣には巨大な建物が建設中で、異様に高い櫓から地面を掘るドリルが回転し、その横で建機が首を左右に振りながら地面を掘り下げていく。大きなダンプが忙しく出入りする。中華系の建設会社による工事らしいが、辺りは耳をつんざくほどの轟音だ。
この辺りは、かつて人々の生活状況の観察を兼ねた私のジョギング・コースの一部であった。以前は、水辺には小さな舟に起居していた貧しい漁民の家族が身を寄せ合っていた静かな場所だったが、この辺りを広く埋め立てて、河に突き出した部分には自動車道路が通ってレストランや娯楽施設ができている。ボリュームいっぱいにしたスピーカーからは派手な音楽が鳴って、建設の騒音と一緒になって喧しい。上陸する河岸を失ったあの貧しい漁民たちは、どこへ追いやられたのだろうか。
一国の首相が執務するには驚くほど謙虚だったかつてのフンセン首相の官邸は、いまは何倍もの大きさで改築されて聳えていた。閣僚評議会の建物は、権威を見せつけるかのような巨大な新築の建物に変身して行きかう道路上の車や人を見下ろしていた。
以前はデコボコだったトンレサップ河沿いの広い遊歩道の敷石は、スムーズに平らに敷き詰められて整備された。街には、洒落た店が随所に出来ていた。プノンペンは10年ほど前に比べて、随分きれいになったものだ。所得が増した人々も増えてきているのだろう。
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他方で、あまり変わっていないところもある。きれいになった表通りの道から少し中の方に入ると、粗末な青いビニールを張った小さな屋根の下で野菜や魚を売る人たちの姿は以前とさほど変わっていない。河の対岸の開発地区に行くと、小舟で魚を獲った貧しい漁民が未舗装の狭い路上で凹んだタライの中に獲ったばかりの生きのいい淡水魚を入れて売っている。元気のいい魚は、暴れて小さなタライからときおり飛び出してしまう。
カンボジア人の人に接する謙虚な姿勢もあまり変わっていない。昔一緒に働いた大使館のカンボジア人職員が10人ぐらい、目に親密感を溢れさせて集まってくれた。そこでも、私の方からの言葉を待って控えめにめいめいが近況を語ってくれた。親しくしていただいた閣僚や王室の方も以前と変わらぬ雰囲気で食事やお茶で歓待してくれた。多忙な首相とは電話で挨拶したが、昔を偲んだ寛いだものだった。
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日本の若手のビジネスマンやODA経験者が集まって設立した、カンボジアの小規模起業家を支援するファンドのプノンペン事務所を訪ねると、20代後半の若者が、支援したコメ農家の販路拡大など投資対象企業の事業展開を英語で説明してくれた。希望に満ちた楽しい仕事をしていることが満面に表れているような目の輝きが印象的だった。シェムリアップの市街から何10キロも離れた貧しい村々の自立支援を15年近く続けているカンボジア人婦人の活動現場も訪ねた。貧しい離村の少女や少年たちが何年かの訓練で見違えるように規律を身につけ、技能レベルもかなり高い伝統舞踊を披露してくれた。このグループは、アメリカにも行って公演し大喝采を受けたそうだ。帰り際には、見送りの踊りを演じてくれたので私も一緒に輪になって踊った。実に控えめだが親密感を身体の中に湛えたようなカンボジア人の目の輝きは今も健在で嬉しい。私はかつてのカンボジア生活で、物がなく貧しい状態の方が、僅かの物でも手に入れた時の喜びは、品物が溢れる社会におけるよりはるかに大きいことを学んだ。発展した一部の都市は別として、カンボジア社会はまだ全国的に非常に貧しい。都市の発展には目を見張るものがあり、汚職なども相変わらず無くならないらしい。それでも、カンボジア人の素朴で素晴らしいところはまだ変わらないで残っていることに安堵した。
 
カンボジアは、私の外交官生活のなかで最もやりがいがあり楽しい任地であった。それを不思議がる人がいるが、理由はこうである。長い内戦で国土や人材や社会制度が破壊されたこの国の復興に日本が最大の援助国としてODAを使って助けた。道路や病院、上下水道、港湾等のインフラ整備・復旧だけでなく、広い分野での人材育成、洪水被害者への緊急援助などを幅広く行った。日本のNGOも学校を建てたり、教育面で献身的に支援活動をして汗を流す。日本人がカンボジア人に接しながらこの国の再建をお手伝いする作業だ。大使として援助の効果は目に見えたし、官民を挙げて喜んで日本に感謝してくれたことを実感できたからである。
その後日本は財政赤字が増えて世界へのODAを大幅に減らしてきた。逆に中国は積極的に援助を伸ばし、いまや中国のカンボジア援助額は日本の3倍近くになっているという。日本への感謝や評価は相対的に減少しているようではあるが、援助の内容から見ると、日本にはまだまだ誇りうるものがある。中国の援助が借款中心(だから金額的に大きくなる)なのに対し、日本のODAは円借款だけでなく、無償援助、技術協力・人材育成、アンコール遺跡修復などの文化面での支援など、極めて多様な手段を駆使してカンボジアのニーズに合ったきめ細かい支援を実施している。カンボジア人の希望を聞き、相手と相談しながら、援助を進める日本的手法もカンボジア側から、高く評価されているのである。
 
今年の12月ごろ(来年の1月になる可能性もあるが)、第2回目の絆郷カンボジア旅行を実施したいと考えている。旅行では、この国のこうした様々な側面を見たり、カンボジア人と接したり、あるいは日本との絆を感じたりしてもらえればいいなと思っている。
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