途上国でのボランティア活動のやりがい!

  • 2013.10.24 Thursday
  • 20:47
菊地   

10月21日の第23回絆サロンでは3名のJICA(国際協力機構)ボランティアの方々から経験談を拝聴した。ボランティア活動は、強い意欲を持った人たちにはやりがいあるものだとあらためて感じた。とくに外国では面白いことが多そうだ。
御存じの方が多いと思うが、JICAは日本の政府開発援助(ODA)を担う中核的組織で、国内外に数多くの拠点を持ち、全世界の途上国で幅広い開発支援活動を展開している。技術協力、無償資金協力、有償資金協力(円借款)など様々な機能や手段を駆使して途上国の発展に貢献しているので、世界での知名度や評価も高い。その中でも技術移転を通じて途上国の自立を助ける事業は人を通じて行われるが、その一環としてボランティアの派遣がある。ボランティアとは具体的に、青年海外協力隊(20歳~39歳)とシニア海外ボランティア(40歳~69歳)である。とかく内向きな日本ではあるが、現在2200名の若者が青年海外協力隊員として、470名あまりのシニアが海外ボランティアとして、世界中の途上国で様々な職種の仕事をしている。意欲を持つ人たちは意外と多いのである。
今回のサロンでは、青年海外協力隊員としてタンザニアで頑張った笹野綾さん、シニア海外ボランティアとしてネパール、スリランカ、アルゼンチンの3カ国で活動した後藤俊吉氏、中国の大連に派遣された垣内美恵子さん(中国)の3名が、スライドで現地の様子を写しながらそれぞれの持ち味で興味深い話を披露してくれた。印象に残ったことをまとめてみた。
 笹野
笹野綾:大学院で開発問題に関心を持った笹野さんは、現場を見たいとの思いから、国内での就職を選ばず協力隊に応募して合格した。派遣されたのはタンザニアの首都ダル・エス・サラムからバスで8~9時間のところにあるイリンガで、肩書きは、「村落開発普及員」。日常生活での衛生意識の向上、整理整頓の習慣化、情報収集やデータベース構築などが業務。最初は、見るもの、食べるもの、そして現地語のスワヒリ語を覚えることも、どれも面白かった。現地の風習に合わせて、着任後すぐ髪の毛を短く刈った。現地の人たちもみな親切でよくしてくれたものの、途中でホームシックや現地の風習と合わないところも感じて落ち込んだこともあった。しかし、1年ぐらいたつと村に必要なことが自分で分かるようにもなり、新しい活動も軌道に乗り積極的な気持ちが強まり、「復活」した。任期の2年はあっという間に終わり、自分は何を残せたかと思ったが、一緒に仕事をした現地のパートナーから「来てくれてよかった」と言われて嬉しかった。日本に比べるととても貧しいが、人々はそこにあるもので生活していて幸せそうだ。そしてどの人も明るく親切である。帰国後は青年海外協力隊事務局で仕事をしているが、感じるのは、日本をもっと知りたいこと、とくに日本の様々な経験を勉強し、日本の技術などを伝えてさらに国際協力をしたいと語る。私の質問に、「また、タンザニアに行きたい」と目を輝かせている。若い時の異国での経験が笹野さんを大きく成長させたようだ。
 近藤
後藤俊吉:日本の化学会社を定年退職後、生きがいを求めてシニア海外ボランティアに応募した。ネパール、スリランカ、アルゼンチンの3カ国で2年ずつ品質管理、工場廃水処理、工場安全管理の指導にあたった。3つの国で合計6年も仕事をしたことからすると、相当やりがいや面白さを感じたからだと思う。実際、後藤さんは楽しそうに説明した。アルゼンチンでは、首都ブエノスアイレスから700キロほど離れたバイアブランカという人口24万人ほどの都市の工業技術実行委員会で勤務。広いところに人はあまり見かけないが牛が人間の数の4倍ほどいるところだ。業務内容は、ダウ・ケミカル社や日本の日揮など内外の企業が関係するガス分離施設、塩化ビニール、肥料、食用油などの工場の保安や安全管理の指導である。塩素ガス・アンモニアガスが漏れて住民とのトラブルが生じた事件もあった。公害に対する問題意識も希薄なところもある。カウンターパートであるアルゼンチンの管理者とともに保安に関する目標を設定し、保安検査、緊急時対応、産業リスクの回避策などを考えて検討のうえ実行させることであった。公害を克服した日本の経験などを伝えることも重要だ。
振り返ると、仕事をするうえで任国のやり方を尊重することが大事であること、日本の化学企業の進出などの日本への期待が強いこと、途上国の技術者を日本で研修させることによりその国の技術レベルを向上させるだけでなく、技術者が帰国後日本の素晴らしさを現地の人たちに伝えてくれる効果が大きいことなどを感じたそうである。
 垣内
垣内美恵子:日本では日本航空、JALコーディネーション・サービスなどを経て通訳、学校や企業研修の講師を務めたビジネスマナーの専門家の垣内さんは、67歳になって生きがいを求めてシニア海外ボランティアを志望。任務終了した現在、古希を迎えた由である。
友人たちが「えーっ、中国?!」などと同情してくれたが、ビジネスマナーの専門家派遣を要請したのは中国だけで、希望してくれた中国を有り難く思ったそうである。それで、派遣されたのは中日友好大連人材育成センター。赴任地の大連の港は戦争中日本軍が出入りした場所でもあるが、そこで中国初の巨大な空母をよく見かけた。江沢民の愛国・反日教育の影響などもあったし、今でも軍人をもてはやすテレビ番組もある。しかし、盧溝橋事件のことを展示する抗日記念館に行ったとき、日本に留学した経験ある若い中国の男性にとても親切に案内してもらったこともある。政府レベルでの関係と草の根レベルでの現実はこうも違うことを知った。赴任後3か月から半年ぐらいはちょっとどん底で、一時中国嫌いの気持ちも出たが、1年ぐらいたつといろいろなことがわかり、生き生きと仕事をすることが出来た。文化の違いもあって、中国では一般的に人に気遣いをしたくない傾向もありビジネスマナーを教えるのに苦労もあった。しかし、中国風のやりかたに慣れてくると心地よいと感じるようにもなった。中国の市井の人々は、心が優しいし、親切だ。家族間の愛も強い。日本に関心がある人や、日本を高く評価したり尊敬している人々も多い。中国にあって日本にないものも発見した。たとえば、急な予定の変更はいつもあるが、そのようなときやトラブルが起こった際の対応力にはとても強いものがある。生真面目な日本のやり方に疑問を感じることもある。人口の多い中国を収めることのむずかしさも理解できるようにもなった。
 
3名の方々は、いずれも未知の境遇の中で苦労も多かったが、結局は様々なことを発見し、現地の人々との友情を深め、そこでの仕事に生きがいを感じたようだ。共通しているのは、現地の状況にに自分を合わせ、それぞれの国の良いところをしっかり見て、それを学び、楽しんでいるように思える。結果として、ご本人の人生の豊かな糧になり、また、任国の発展にも貢献したことを確信できる。日中関係は双方の国民感情の面で困難な局面にあるが、垣内さんの話からは、日本にいてはわからない中国人の日本に対する好意的な姿勢もあることを知る。やはり、現地に行って見ないとわからないものである。実は、人と人とが接し、事実や気持ちを確かめて親しくなることこそ、絆郷本来の目的でもある。
全体としてはまだ内向きな日本ではあるが、出来るだけ多くの若者やシニアが、海外でのボランティア活動の機会をつかむことを願いたくなる。
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